「土用の丑の日」及び「二の丑」について、インターネット情報を含む暦関連の資料で調査した結果を回答いたします。
(※土用と呼ばれる期間は春夏秋冬4回あり、それぞれに丑の日がありますが、鰻との関係についても知りたいとのことから、夏の土用の丑の日についてと判断させていただき、回答いたしました。)
結論から申しますと、次のとおりです。
・「土用の丑の日」は、雑節の土用の期間における、十二支が丑の日。
・「二の丑」は、雑節の土用の期間で、十二支が丑の日が2日あることがあり、その2回目の丑の日のこと。
調査概要は次の通りです。
土用について
1.『世界大百科事典 20 トウケ-トン 改訂新版』(平凡社 2007.9)【031/44N/20】p436「土用」の項目
「雑節の一つ.年4回各季にあるが,一般には太陽の黄経117°に達した夏の土用を指す.立秋前18日間をいい,初日を土用の入りという.極暑のためその暑さを利用したり,また暑気負けを防ぐ各種の習俗が行われている.(中略)夏負け防止では土用丑の日の伝承が多く,ウの字のつくウナギ,ウリ,牛の肉や土用餅を食べる風習がある.」
2.『神宮館高島暦 平成25年』(井上象英/編著 神宮館 2012.7)【148.4/81N】p14に「土用」について書かれています。
「本来は二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬前の約十八日間を土用と称し、一年に四度あります。しかし一般的に土用といわれているのは、夏の土用をさしており、新暦七月二十日ごろから立秋の前日までの期間です。(中略)なお土用の期間は、入り日の時刻によって、日数が十八日間、または十九日間となります。」また、「土用の丑の日にウナギや牛肉などを食して食養生をするなどいろいろな習俗による慣例が行われています。」
土用は雑節の一つであること、土用は立秋の前日までの期間であることが分かります。
雑節について
前述2の資料、p13に「雑節」について書かれています。
「二十四節気のほかに、陰暦では、一年間の季節の推移を把握するために、補助的な意味から特別な歴日が設けられています。これを雑節(ざっせつ)と称します(中略)雑節の主なものに、節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日などがあります」
丑の日について
3.『世界大百科事典 3 イン-エン 改訂新版』(平凡社 2007.9)【031/44N/3】p238「丑の日」の項目
「十二支の丑にあたる日で,夏の土用の丑の日や2月と11月の丑の日など,この日を特別の日とする行事がいくつかみられる.夏の土用丑の日にはウナギなど脂肪の多い食物をとると夏やせしないとするのは一般的であるが,頭に<う>のつくウリ・梅干しなどを食べるとよいという所もある.」とあります。
十二支について
前述2の資料、p10「干支」についての説明部分で確認できます。
「干支は、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせによってつくられている」とあります。
「十干は、(中略)甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みづのえ)、癸(みづのと)の十通り」
「十二支は、(中略)子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(ゐ)の十二通り」
平成二十五年の「二の丑」について
平成二十五年は「二の丑」があります。
よって、前述2の資料、p42-43「七月の行事」p44-45「八月の行事」で、平成二十五年の土用の丑の日を確認することができます。
まずp43 7月19日の行事欄に「土用二一時二九分」とあります。土用の入りです。
そして7月22日の干支を見ますと、「つちのと うし」。土用の期間内で、かつ丑の日です。行事欄に「土用の丑」とあります。
土用の終わりは立秋の前日ですので、p44、行事欄に「立秋」とある8月7日の前日、8月6日が土用の終わりになります。
土用が終わるまでに、8月3日(干支「かのと うし」)があります。この日も土用の期間内で、かつ丑の日です。行事欄に「土用二の丑」とあります。
ご参考までに
調査依頼に、土用丑の日について、とありましたので、土用丑の日にうなぎを食べる風習の起源について書かれた資料をご紹介します。
前述3の資料p304「ウナギ」の項目
「土用の丑の日にウナギを食べる風習はうなぎ屋の商策に出たものであるが,暑中の栄養補給からみて当を得ており,1820年代には行われていた.」とあります。
4.『現代こよみ読み解き事典』(岡田芳朗/編著 柏書房 1993.3)【449.3/6N/(2)】p108-109「土用」
「本来は二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前の十八日間を土用といい、一か年に四回ある。だが一般的に土用という場合は、夏の土用だけをさすようになった。新暦七月二十日頃から立秋の前日の八月七日頃までの期間」とあります。また「土用の丑の日には、うなぎを食べる習慣があるが、それは暑中の健康管理にもつながっている。平賀源内(一七二八~七九)がうなぎ屋の看板に書いたことに由来するという。」とあります。
5.『丑鰻考:「丑日の鰻」の起源を探る』(遠山英志/著 青森県文芸協会出版部 1988.11)【383.8/190】
p6-7に丑鰻の起源の俗説が書かれています。
「〔俗説(1)〕平賀源内が、余りはやらぬ鰻屋から看板を頼まれ、宣伝のため「本日土用丑の日」と墨痕鮮やかに大書した。それをその店の入口に貼り出させたところ、大評判となり、千客万来となったことから、他の鰻屋も真似てこの風習が起こった。」
「〔俗説(2)〕文政年間、藤堂という大名から鰻の蒲焼きの注文を受けた江戸和泉橋通りの鰻屋、春木屋(善兵衛)では、夏土用の子、丑、寅の三日に渡って焼き、それぞれの土瓶へ密封し、土蔵の穴ぐらへ入れておいた。納める時、調べてみると丑日に焼いたものだけが、色も褪めず、香味も変わっていなかった。この逸話が素で、この風習が起こった。」
「〔俗説(3)〕庶民が、夏の暑さが最もこたえる土用の丑日に、栄養豊富な鰻の蒲焼きを食し、夏負けせぬように願ったことが、長い年月の間に定着して、この風習となった。」
6.『暦の百科事典』(暦の会/編 本の友社 1999.11)【449/5N】p326
「土用 旧暦では、立春、立夏、立秋、立冬の前の約十八日間をすべて土用といっていた。現在では、夏の土用だけが残り、この間に暑中見舞いを出したり、土用の丑の日にうなぎを食べたりする。七月下旬にあたる。」
7.『暦のすべてがわかる本』(高嶋陽山/共著 経林書房 1993.1)【148.8/3N】
p101-103
「土用(どよう)」は「四季の終わりの十八~十九日間で年に四回あるのだが、(中略)いまでは一般に「夏の土用」を指す。」
「土用の丑の日には鰻を食べるのが年中行事と化しているが、(中略)それが、土用の丑の日に特定されるようになったのは、江戸時代中期の国学・蘭学者、平賀源内が、夏枯れで売れないで困っている知り合いの鰻屋に頼まれて『本日、丑の日』(一説には、明日、土用丑の日)と墨で大書した紙を店先に貼ったことからと言われている。年によっては(夏の)土用の丑の日が二度ある。」