乗組員と力士の対戦の記録は、
『新・國史大年表 第6巻(1853-1895)』<210.03/199/6常置> ( 21994215 )
『 近代日本総合年表』岩波書店 2001 <210.6/356A 常置> ( 21439971 )
『日本相撲史 上巻』酒井忠正著 大日本相撲協会 1956 <788.1/11>
『横浜市史第2巻』 横浜市 1959 <K21.1/4/ 2b>(50241579)
に記載あり。
・『新・國史大年表 第6巻(1853-1895)には、安政元年(嘉永7年 1854)2月16日(旧暦)のできごととしてアメリカ水夫3人対力士1人の勝負の記述があり(p.32中段)、『嘉永明治年間録』の記述が引用されている。出典は『嘉永明治年間録』のほか、『温恭院殿御実紀』と『ペルリ提督 日本遠征記』。
出典とされた資料を確認すると
『嘉永明治年間録 上巻』<210.03/22/1 常置> ( 10332773 )
p.141に相撲の勝負についての記述があり。力士の名は小柳、ただし乗組員の名前等の記載はなし。
「温恭院殿御実紀」『國史大系 第50巻』<210.08/4/ 50常置> ( 10339596 )
p.139-140に記述あり。力士の名は小柳、ただし乗組員の名前等の記載はなし。
『ペルリ提督 日本遠征記(三)』<イ291/ペ/3a>(20315685)
p.225~p.230 相撲の余興の記述あり。ただし乗組員と力士の勝負についての記載はなし。(1854年3月24日)
・『 近代日本総合年表』p4にも1854年3月24日(嘉永7年2月26日)のことがらとして「力士小柳、米人水夫3人を相手に相撲をとり、勝って評判となる」と記載あり。出典は『新訂増補國史大系 第48-52巻』(「温恭院殿御実紀」)と『ペルリ提督 日本遠征記』
なお西暦1854年3月24日は旧暦では安政元年(嘉永7年)2月26日にあたるが、『嘉永明治年間録 上巻』「温恭院殿御実紀」とも2月16日(旧暦)のできごととして記載している。
・『日本相撲史 上巻』「黒船来航と力士」(p348‐349)にも
「小柳常吉もアメリカの水兵三人を一時に相手にし、一人を差し上げ一人を小脇に抱え、一人を脚下に踏みつけ彼等の胆を奪ったという」と記載あり。ただし日付は嘉永7年二月二十四日のこととされている。出典の記載はなし。
・『横浜市史第2巻』p116には
「「無敵の評判の高い」大関小柳が艦隊きっての大力大兵三人を一度に負かしたときには、アメリカ人一同喝采して感歎し、力士たちの親善の使命は見事にはたされたのである」と2月26日(3月24日)のことがらとして記載あり。出典は『大日本維新史料』第二編ノ五、p109-110,133-135及びHawks F L,『Narrative of The Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan』vol.1 p357-358。『大日本維新史料』を確認すると「温恭院殿御実紀」が採録されていた。こちらも2月16日の日付だが、(二脱カ)と注があった。『Narrative of The Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan』は異本が様々あるとのことで当館所蔵本は305頁しかなく確認できなかった。(
http://library.doshisha.ac.jp/ir/digital/cary_bunko/narrative_detail.html)
Biodiversity Heritage Library(Internet Archive)で『Narrative of The Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan』vol.1のp357-358、および横浜村での饗宴の部分にも目を通してみたが、水兵3人との勝負に関する記述は見つからなかった。小柳の名は記載あり。
当館所蔵の以下の資料を調査するが、アメリカ側の記録としては、乗組員との対戦の記録は発見できなかった。(1854年3月24日、横浜村で力士が米俵を運び、稽古や取組をペリー達のまえで披露したなどの記述はある。)
『武相叢書 亜墨理駕船渡来日記』<K25.1/6A>(50029032)p.107に記述あり。p.128~p.129出張した相撲力士の名簿あり。
『亜墨理駕船渡来日記 横浜貿易新聞から』<K25.1/64>(60525730)p.189~p.193 「36 力士 楽々と米俵を運ぶ」として、記述あり。「解説」には、「乗組員と相撲を取った力士もいたようである。」と記載されているが、典拠不明。
『ペリー日本遠征日記』<210.18/54-2/1>(10366631)p.368~p.372「陸上での余興」 ペリーたちの前で行った相撲の試合(余興)の記述がある。
『ペルリ提督 日本遠征記(三)』<イ291/ペ/3a>(20315685)p.225~p.230 相撲の余興の記述あり
『ペリー日本遠征随行記』<210.18/54/8>(10366557)p.244~P.246 相撲の余興の記述あり
当館未所蔵の『力道山以前の力道山たち(日本プロレス秘話)』小島貞二著 三一書房 1983の目次には第三話 ペリー提督も見た日米対抗戦という記載があり。
また産経のインターネット記事を転載したブログ【大相撲豪傑列伝】(4)ペリーの前で米国格闘家に圧勝 小柳常吉 2008.10.18 17:41
(産経新聞の豪傑列伝|KBP大相撲中継
http://ameblo.jp/kamoshikamaru-zeki/entry-10191948762.html )
には、「レスラーのウイリアムスとブライアン、ボクサーのキャノン」と記載されているが典拠は不明。『ペリー日本遠征日記』<210.18/54-2/1>(10366631)p.458~p.477 付録C 日本遠征(一八五二-一八五五年)関係士官及び下士官一覧に目を通すが、特定できる人物はいなかった。