レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/06/22
- 登録日時
- 2012/08/10 11:45
- 更新日時
- 2012/11/28 15:38
- 管理番号
- 埼久-2012-034
- 質問
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未解決
宮城県日和山にある「震嘯記念 地震があったら、津波の用心」で始まる碑文の読みがわかる資料が知りたい。
その中で「西ハ〈猿猴圍〉ニ至リ(略)〈柳原圍〉畑地ニ押上ゲラレ(略)」の「圍」の読み方が知りたい。
- 回答
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宮城県図書館に調査を依頼したところ、「猿猴(えんこう)圍」「柳原(やなぎはら)圍」そのものについての読みは判明しなかった。
ただし、名取市観光協会のウェブサイトに掲載されているPDF資料(「なとりの方言集 おはようござりす」内「地名の由来」)に「先井成囲」という地名があり、「さきいなりかこい」とルビのある事例を紹介された。明治時代に耕地整理を行った際に県知事から命名された地名。
「かこい」と読むのではないか。
参考ウェブサイト《名取市観光協会ホームページ》「なとりの方言集」内「地名の由来」p27-28 2上余田・下余田・田高の項
(http://www.kankou.natori.miyagi.jp/?action=common_download_main&upload_id=745 名取市観光協会 2012/11/28 最終確認)
- 回答プロセス
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地名辞典を調べる
『現代日本地名よみかた大辞典 5』(日外アソシエーツ編 1985)
p6760、6764、「柳原下」やなぎはらしも、「柳原上」やなぎはらかみ、「柳原中」やなぎはらなか
p9022「猿猴」えんこう
『大漢和辞典 3』(大修館書店 1984)
p89「圍」 読みは「ヰ」かこむ。かこみ。めぐり。かこふ。まわり。
「猿猴圍」及び「柳原圍」に付く「圍」の読みについては、固有名であるため、宮城県図書館に確認依頼する。
震災関係資料を調べる
『宮城県昭和震嘯誌』(宮城県編 仙台 1935)
第5編雑録p22-26 記念碑の建設の項あり。
一覧表で名取郡閖上町閖上(ゆりあげ)部落にも記念碑がたてられたことがわかる。
建設標準あり。この中に、「記念碑には可成被害状況及津浪ノ来襲セル地域等後世ノ参考トナルヘキ記録ヲ表示スルコト」とあり。
後半には論文あり。閖上部落名あり。
第2編被害 閖上部落の被害(人・住居など)あり。
インターネット情報を調べる
《社団法人 日本造園学会》(http://www.landscapearchitecture.or.jp/secure/2103/7natori2.pdf 日本造園学会 2012/11/28最終確認)スライド資料p7(⑫公園緑地被害Ⅰ閖上地区および閖上地区の富主姫神社・日和山公園)に碑文の本文記載あり。
調査済み資料は以下のとおり
『日本歴史地名大系 4 宮城県の地名』(平凡社 1987)
『写真記録近代日本津波誌』(山下文男編著 青磁社 1984)
『哀史三陸大津波』(山下文男著 青磁社 1990)
『津波てんでんこ 近代日本の津波史』(山下文男著 新日本出版社 2008)
『防災講座津波の心得』(山下文男著 青磁社 1985)
『津浪と村』(山口弥一郎著 石井正己編 三弥井書店 2011)
宮城県図書館調査済み資料
K292.1/ホ1「名取大観」(堀内 英力編 経世社 1916)
K290.3/キ1「宮城県地名考」(菊地勝之助著 宝文堂 1970)
K292.1/オ1「閖上風土記」(岡崎一郎編 小野晋平 1977)
K221.1/ナ1「名取市史」(名取市史編纂委員会編 名取市 1977)
PK290.3/チ 太宰幸子「名取市の地名」(宮城県地名研究会「ちめい」19号 2004)p62-80
PK290.3/チ 太宰幸子「名取市の地名(2)」(宮城県地名研究会「ちめい」21号 2005)p101-121
K290.3/112「みやぎ地名の旅」(太宰幸子著 河北新報出版センター 2011)
- 事前調査事項
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「それでも三月は、また」(谷川俊太郎著 講談社 2012)p232
- NDC
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- 社会福祉 (369 9版)
- 地震学 (453 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮城県-震災
- 宮城県-地名
- 照会先
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- 宮城県図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000109822