レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月25日
- 登録日時
- 2021/06/25 15:44
- 更新日時
- 2021/12/06 16:41
- 管理番号
- 武蔵浦和-1-00127
- 質問
-
解決
『源氏物語』8の巻「花宴」(結構有名な話)の中で、御所を入り、
弘徽殿(こきでん)に向かって3番目の入り口を開けた所である
「細殿」(ほそどの)の大きさやどんな所か知りたい。図や写真を見たい。
・『源氏物語』の「弘徽殿」で、光源氏と朧月夜が出会う場面が書かれている。
・御所の写真集が出版されているはずなので、その中に載っているか探してほしい。
・「花宴」に関する論文があると思うので、その中で「細殿」のことが書かれている
論文があれば紹介してほしい。
- 回答
-
「弘徽殿の細殿の絵や写真、図」についての質問は、源氏物語の「花宴」に関する記載が載っている本を
集めて確認したところ、だいたいが狩野派の絵だったので、その絵が代表的なもののよう。
ほかに、京都府にある風俗博物館の模型の写真があるが、弘徽殿の細殿そのものではなく、
源氏物語に出てくる建物の部屋の様子で、当時の一般的な部屋の様子はわかる。
「弘徽殿と藤壺(飛鳥舎)が、源氏物語の描写だと繋がっているように思えるが、
内裏図など見ると繋がっていない。実際はどうだったのか」という質問については、
いくつか内裏平面図を見てみましたが、繋がっている図は見つからず。
- 回答プロセス
-
・「弘徽殿」とはどんな所か調べてみる。
〇R813.1『日本国語大辞典 5巻』小学館 2001
p.548-549
平安内裏の後宮の殿舎の一つ。
(中略)母屋は中央を馬道(めどう)で南北二つに分け、
東は渡廊により常寧殿へ、北は切馬道によって登華殿に通じていた。
西庇は長さ九間、南北に細く通じているので細殿ともいわれた。(後略)
・館内にある「源氏物語」関連の資料にあたる。
×913.36「梗概源氏物語」阿部 秋生/監修 広瀬ヰサ子 1981
×913.36「王朝の雅 源氏物語の世界」鈴木日出男/監修・執筆 平凡社 2006
×913.36「源氏物語を楽しむ本」渋谷栄一/監修 主婦と生活社 2008
×913.36「源氏物語 千年の恋を読み解く」宝島社 2009
×913.36「源氏物語 光源氏と女たちの王朝絵巻」円地文子/[著] 世界文化社 2005
〇210.36「平安大事典」倉田実/編 朝日新聞出版 2015
p.14-15 弘徽殿の説明と平面図あり。図中に西廂(細殿)も示されている。
△913.36「源氏絵物語 本物の絵と声で楽しむ日本の古典」伊井春樹/監修・著 ソフトバンククリエイティブ 2008
p.66 8の巻「花宴」について簡潔にまとめてある。絵「朧月夜との出逢い」もあり。
〇「源氏物語おんなたちの世界」堀井正子/著 信濃毎日新聞社 2009
p.26 「花宴」の屏風絵あり。
・R210.03『国史大辞典』(吉川弘文館)で“弘徽殿”と“細殿”を調べる。
細殿→渡殿を見よ。となっており、渡殿の項は一般的な寝殿造の説明だった。
・CiNiiやWebcatplus!で検索
CiNiiで“弘徽殿”検索すると、「弘徽殿大后」や「弘徽殿女御」がヒットするので×
同じく“細殿”で検索
→〇「後宮の細殿:その特質と役割をめぐって」『國文論叢』50,p.1-12(2016.3.31)
機関リポジトリで閲覧可
×『国文学解釈と鑑賞』 1998年10月号
1998年10月刊の別冊に載っているらしい。市内に別冊は所蔵なし。
×913.36『源氏物語の鑑賞と基礎知識 桐壺』鈴木一雄/監修 至文堂 2001
弘徽殿と弘徽殿の女御についての記載はあるが、細殿の記載はなし。
〇913.36『週刊絵巻で楽しむ源氏物語五十四帖 8 八帖 花宴』秋山虔/監修 朝日新聞出版 2012
p.8 年立と源氏絵掲載ページを見てみると、p.2~4とp.13~15に掲載の絵が、
「光源氏が弘徽殿の細殿の三の口が開いていたので殿内に忍び入る」の絵らしい。
p.14は「渡殿」と書かれているが、先に書いた『国史大辞典』では、
細殿と同じもののようなので細殿の絵としていい可能性あり。
p.24 p.13と同じ絵。
よく見ると、表紙も同じ場面の絵。
×210.36『平安京提要』古代学協会/編集 角川書店 1994
さくいんの「弘徽殿」をみると「→内裏弘徽殿」となっていたので、
その項目を見てみる。
p.129~130 平安宮の七殿に弘徽殿が入っている。
p.130下段 弘徽殿は清涼殿の北にあり、南の黒戸の細殿で清涼殿と連絡するため、
(略)と文字だけで説明があるが、細殿はこの部分しか記載はない。
・図書館業務システムで検索
主題“花宴”&分類913.36 →19件ヒット
△913.36『イメージで読む源氏物語 5 紅葉賀・花宴』田中順子/著 一莖書房 2006
p.120~花宴。細殿の描写はp.122にあり。原文と説明書きのみで、絵はない。
“源氏物語”&南浦和所蔵(前に南浦和図書館に源氏物語の写真集みたいなのがあった気がする)で検索
△913.36『源氏物語図典』秋山虔/編 小学館 1997
p.21 弘徽殿の説明文あり。
△913.36『源氏物語六条院の生活』五島邦治/監修 宗教文化研究所風俗博物館 1999
p.10 東対の広廂(ひがしのたいのひろびさし)の模型写真あり。
p.11 廂(ひさし)の模型写真あり。
どちらも光源氏の大邸宅である六條院で、
「花宴」に出てくる御所ではないかもしれないが、
上に書いた「平安大事典」の細殿は西廂のこととのことなので、
場所は違うけれど、“廂”の様子を知りたいのであれば、
この本の模型写真は参考になるかもしれない。
〇721.2『豪華<源氏絵>の世界源氏物語』秋山虔/監修 学研 1999
p.58-59 花宴。扇に描かれた絵と屏風絵(?)あり。
p.258 白描源氏物語帖、p.265 源氏物語画帖に花宴の絵あり。
・google検索
“源氏物語&花宴&細殿”→「文化遺産オンライン」がヒット。
「源氏物語図 花宴(巻8)」という大分市歴史資料館所蔵の狩野派の絵がヒット。
Researchmapで、川島絹江著「弘徽殿の細殿考-『源氏物語』を読むために-」がヒット
〇『講座平安文学論究 第13輯[平安京の風土と文学]』[風間書房.1998]のp.155~181に
入っているらしい。
↑ISBN 4-7599-1103-0で県内横断検索したら、埼玉県立久喜図書館にあり。
“源氏物語&花宴&細殿”で画像検索
→歌川国貞(歌川豊国)筆の絵がヒット
この絵は国会図書館所蔵の寄贈画像 と書かれている。
・国会図書館デジタルコレクションで検索(インターネット公開と図書館送信資料で)
→8件ヒット。次の3冊が質問に該当しそうだが、図書ではどれも市内所蔵なし。
『釈評源氏物語 巻5」矢島書房.1948.(国会デジタル送信 書誌ID000000973674)
p.296に「朧月夜・弘徽殿の細殿」と目次にあり。
『対訳源氏物語 巻1』明治書院.1951.(国会デジタル送信 書誌ID000000979947)
p.287に「二.弘徽殿の細殿」と目次にあり。
『風俗上よりみたる源氏物語描写時代の研究』風間書房.1968.
(国会デジタル送信 書誌ID000001107310)
p.322に「第一節 貴族邸宅考 四 廊、渡殿、細殿」とあり。
△210.36『源氏物語と平安京』日向一雅/編 青簡舎 2008
p.26 図10 内裏復元図
弘徽殿と飛香舎が、物語では繋がっているように描かれているのに、
図では途切れているのはどういうことだろうか、
使用時だけ梯子のようなものがあるのか、と
質問者に途中経過を説明している時に、追加質問あり。
p.69~70 (4)弘徽殿(図8)
花宴の文章の引用と、図8は平安宮弘徽殿平面図で、左側に「細殿」とあり。
〇910.23『平安貴族の環境』山中裕/編集 至文堂 1994
p.120~122 弘徽殿
弘徽殿の説明と、p.122に弘徽殿の平面図(『大内裏図考證』巻十七)あり。
・国文学論文目録データベース(国文学研究資料館HP内)で検索
http://base1.nijl.ac.jp/~rombun/(2021.11.3最終確認)
“弘徽殿”で検索→50件ヒット
“弘徽殿&細殿”で検索→1件ヒット
川島絹江氏の上にすでに出ている「弘徽殿の細殿考」がヒット
・新日本古典籍総合データベースで検索
https://kotenseki.nijl.ac.jp/(2021.11.3最終確認)
“弘徽殿&細殿”で検索→0件
・日本古典籍総合目録データベースで検索
https://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/(2021.11.3最終確認)
“弘徽殿&細殿”で検索→0件
・平安時代の建築に関する本を見てみる
×R521.8『国別城郭・陣屋・要害台場事典』西ケ谷恭弘/編 東京堂出版 2002
×521『日本建築様式史』太田博太郎/ほか監修 美術出版社 2010
・リサーチ・ナビの目次情報データベースで“細殿”検索
→法隆寺の細殿しかヒットしない。
・もう一度、源氏物語の絵が載っていそうな本を見直してみる
〇913.36『梗概源氏物語』阿部 秋生/監修 広瀬ヰサ子 1981
p.15 花宴
下に細殿で源氏と女性が出会った場面の扇絵(カラー)あり。
p.82 花宴
上に、「弘徽殿の細殿で源氏は現代的な若い娘に会う」という
場面の絵(モノクロ)あり。
〇913.36『王朝の雅 源氏物語の世界』鈴木日出男/監修・執筆 平凡社 2006
p.46~47 第八帖 花宴
p.47に、土佐光吉筆「源氏物語絵色紙帖 花宴」の絵あり。
源氏が弘徽殿の開いていた戸口から女性を見たところの場面。
・リサーチ・ナビで“細殿”検索
→CiNiiの機関リポジトリで見られる論文あり。
〇天野ひろみ「後宮の細殿:その特質と役割をめぐって」『國文論叢』50,p.1-12
この論文のp.11の注2に、「弘徽殿細殿については
池浩三『源氏物語』第三章~(略)でも触れられている」とあり。
〇913.36『源氏物語 その住まいの世界』池浩三/著 中央公論美術出版 1989
この図書は描写が詳しく書かれている(p.78~79)
p.63~97 第三章 清涼殿と後宮
p.78~79 花宴
(前略)弘徽殿の細殿に立ち寄ると「三の口」が開いていて、
奥の枢戸も開く。人の気配もない。とそこへ、
「朧月夜に似るものぞなき」と吟じながら女がやって来るではないか。
p.78 図3-13 凝花舎(梅壺)・飛香舎(藤壺)・弘徽殿(『大内裏図考証』による)
p.79 図3-14 土佐光吉筆「源氏物語手鑑 花宴」の絵あり。
・『京の常識事始』(京都観学研究会/編 講談社 2010)をたまたま見ていたら、
源氏物語の模型を展示している“風俗博物館”というところがあるとわかった。
→“風俗博物館”のホームページを見てみる
https://www.iz2.or.jp/(2021.11.3最終確認)
ホームページで6/26現在掲載されているものは、
花宴や細殿についてではないが、
風俗博物館ウェブショップで書籍を販売しているとのこと。
・弘徽殿と藤壺が繋がっているかどうか内裏図に関する本を見てみる。
図書館業務システムで、“内裏図”主題検索
〇210.36『平安時代儀式年中行事事典』阿部猛/編 東京堂出版 2003
p.366 平安京内裏図
ほかの本と同じく、弘徽殿と飛香舎(藤壺)は繋がっていない。
〇913.36『源氏物語-その住まいの世界-』池浩三/著 中央公論美術出版 1989
p.77 図3-12 平安宮内裏配置図
弘徽殿と飛香舎(藤壺)は繋がっていない。
・Googleで“平安&内裏図”検索
→京都市のホームページがヒット
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka07.html(2021.11.3最終確認)
内裏平面図では、弘徽殿と飛香舎(藤壺)は繋がっていない。
“平安&内裏&弘徽殿”
→「平安宮内裏弘徽殿跡」のページ
https://kyotofukoh.jp/report2237.html(2021.11.3最終確認)
このページの中で、平安宮復元図が載っている。
これの出どころは「源氏物語ゆかりの地」とのことなので、
“源氏物語ゆかりの地”で検索
→京都市情報館ホームページ内の「源氏物語ゆかりの地説明板について」が出てきて、
この中に、「説明板配置図平安宮内裏跡内」あり。
弘徽殿と飛香舎は離れている。
・弘徽殿ではなく、飛香舎(藤壺)についての論文などを見てみる
CiNiiで“飛香舎”→5件ヒット
「『源氏物語』にみる「藤壺」」跡見学園女子大学文学部紀要
機関リポジトリで閲覧可。
この注(4)が弘徽殿と藤壺に関する文献のよう。
増田繁夫「弘徽殿と藤壺―源氏物語の後宮―」『国語と国文学』1984年11月 市内所蔵無し
増田繁夫「源氏物語の後宮―桐壺・藤壺・弘徽殿―」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 1 桐壺』1988.10
・風俗博物館が出した本を見てみる
△210.36『六條院へ出かけよう』五島邦治/監修 宗教文化研究所 2005
弘徽殿そのものではないが、『源氏物語』に出てくる住まいの様式である
寝殿造の説明と模型の写真あり。
廂や渡殿などがどんなものかわかる。
- 事前調査事項
-
・「花宴」には「弘徽殿」で光源氏と朧月夜が出会う場面が書かれている。
・御所の写真集が出版されているはずなので、その中に載っていれば見たい。
・「花宴」に関する論文があると思う。その中で「細殿」に関するものがあれば紹介してほしい。
- NDC
-
- 小説.物語 (913 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000300774