当館所蔵の本の内容を確認したところ、次のような記載があった。
①「句」の欄に
【句芒】①木を司る官。又、五行神の一つで、春、木を司る神。
との記載がある。(本文には旧字体・異字体が用いられている。)
②四 重列神獣鏡 に句芒の含まれたものとして、
図33に重列神獣鏡 約2/3 箕面,江口治郎氏蔵の写真、図34に重列神獣鏡の内区 約3/4、図35に重列神獣鏡の内区 約3/4 箕面,江口治郎氏蔵、図36に建安10年銘重列神獣鏡の内区 約3/4 京都大学文学部博物館、図37 重列神獣鏡の内区 約3/4 ボストン美術館 が掲載されている。
また、「図35、36、38に認められた、伯牙弾琴と対象の位置を占める、この人首鳥身の神を伴う図柄は何を表はしたものであらうか。人首鳥身の神として直ちに思ひ起されるのは句芒である。『墨子』明鬼篇下に 昔者秦穆公当昼日中所乎廟、有神入門而左、鳥身、素服三絶、面状正方、秦穆公見之、乃恐懼犇、神曰無懼、帝享女明徳、使予賜女壽十年有九、使若國家蕃昌、子孫茂毋失秦、穆公再拝稽首曰、敢問神名、曰予為句芒 と即ち、昔秦の穆公が昼間廟にゐると、神が入口を入つて左に曲がつてきた。鳥身で黒の縁をつけた白い衣服を着け、顔の形は正方形であつた。秦の穆公は恐れおののいて逃げ出した。神はいつた、恐れることはない。帝は汝の立派な徳をよみし、自分をして汝に壽十九年を下賜させ、汝が国家が蕃昌し、汝の子孫が繁殖して秦國を失ふことをなからしめようといふのだ、と。穆公は再拝稽首しているた、あなたの名をうかがいたひのですが。神はいつた、自分は句芒だ、と。楊寛はこの話、それに『呂氏春秋』十二紀で句芒が春に配当されてゐることなどを引き、句芒は春の神で成長を司る者だから壽を下賜し、國家を繁昌させ、子孫を増やすことができるのだ、といつてゐる。句芒が鳥身人面で帝(傍点あり)の命によつて人間に壽を授ける使者をつとめると考へられてゐたことが知られる。然らば、問題の鏡の図柄は句芒が帝の許で人間の壽命の延長に関する相談を受け、ないしは指図を受ける所、或ひは使命を終つて報告を行つてゐる所と考へることができよう。図35、36のごとき所謂建安式重列神獣鏡には「周刻容像、五帝天皇、伯牙弾琴、黄帝除凶……」の銘があるから、「伯牙弾琴」と共に「五帝」「黄帝」などの「帝」の図像があることが当然予想されるのである。ここに句芒と向ひ合ふ像を、句芒に命令を下す帝と考へることは大いに蓋然性のあることと考へられる。」
との記載がある。(本文には旧字体・異字体が用いられている。)
③十二紀配当表の
孟春 仲春 季春 に句芒が記載されている。
④12 神の贈り物 句芒神 に
①と同様の【戦国時代・墨?撰(伝)『墨子』明鬼下】の記載があり、「人面鳥身で両竜に乗る句芒」の絵も記載されている。
⑤第五章 後漢式鏡 十四 重列神獣鏡 に
鏡の写真と図、「第四段に人首鳥身の怪物は長寿を司る句芒」との記載がある。
⑥Ⅲ 中国鏡の繁栄と興隆 (12)神獣鏡類 重列式神獣鏡に
図32 重列式神獣鏡内区の主題文様の記載があり、「第四段 人首鳥身の怪物は長寿を司る句芒」との記載がある。