レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年11月14日
- 登録日時
- 2009/02/15 14:06
- 更新日時
- 2019/09/20 16:18
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-1032
- 質問
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解決
将棋の戦法「美濃囲い」の由来は何か。
- 回答
-
1 『日本将棋用語事典』(東京堂,2004)、『将棋戦法大事典』(大修館書店,1985)には、由来に関する記載はなし。
2 雑誌『近代将棋』2006年4月号連載「甦る江戸将棋」東公平著 第18回「看壽の四枚落ちと美濃囲い」の「美濃囲いのルーツ」の章に、最も古い美濃囲いの棋譜と名称について、下記の記述がある。
-----(以下引用)-----
宝永4年(1707)刊の『象戯綱目』は、赤縣敦庵氏撰、第1巻「隊伍」(駒組の意)に、平手四間飛車定跡として、次のように美濃囲いの隊伍が示されている。
-棋譜省略-
この後手の馬(駒)くみを箕の手という人あり。本真甫将棋に見えるなり。
箕は当て字だろう。別の古棋書(書名失念)に「美濃の音通和尚がよく用いたので美濃囲いという」とあったが、音通和尚はいつごろの人か不明。
『近代将棋考鑑』=享保2年刊に、「後手の駒立はみのかこいというなり。松本入道紹尊(美濃の人)きわめてこの駒立を好むにより…」とある。
-----(引用ここまで)-----
(追記)「将棊図彙考鑑」(原喜鶴撰 享保2年刊)5巻には「音通」ではなく「通遠日長」の名がある。
早稲田大学図書館古典籍総合データベース : http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo09/wo09_00523/index.html 2019年9月確認
3 上記の松本入道紹尊については窪寺紘一『日本将棋集成』(新人物往来社,1995)の「古今棋士人国記」の項に記載あり。
「岐阜県 当県輩出の棋士は少ないが、その歴史は古い。宗看が伊藤家を興して将棋三家の一員となった時、彼に挑戦した在野派強豪がいた。 その一番手が松本紹尊で、寛永14年(1637)以降平手三十番を戦って、十勝二十敗で挑戦を退けられた。」
4 音通(通遠日長)和尚については資料を見つけることができなかった。
5 インターネットを検索。個人サイト「将棋パイナップル」の掲示板(2019年9月現在リンク切れ)に、「将棋世界」1954年7月号のコラム「四面鏡」よりの記述として以下の記載があった。
「美濃囲いも古い駒組。また名称の多いのも矢倉同様、本美濃、(単に美濃囲いとも)高美濃、金美濃、銀美濃、木村美濃、升田美濃、片美濃等がある。 …「後(後手)の駒立はみのかこいというなり。松本入道紹尊きわめてこの駒立を好むによつてこゝにこれをつくるなり」と『近代将棋考鑑』は言つている。 なお、別に、武田信玄の臣の馬場美濃守の好んで用いた布陣の美濃の手の戦法をかたどり云々という説があるが、信玄の頃を考えると、この説には俄かに信がおけない。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 将棋 (796 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000051645