レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年02月22日
- 登録日時
- 2020/03/25 17:17
- 更新日時
- 2020/03/26 17:55
- 管理番号
- 県立長野-19-105
- 質問
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解決
戸隠にあった相撲道場について、だれが、いつ建築し、いつまで利用されていたか知りたい。
- 回答
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相撲道場は戸隠越水ケ原に、大日本国技研修会によって1941(昭和16)年7月28日に竣工された。いつまで道場があったのかは確認できなかった。関連の資料は以下のとおり。
国立国会図書館デジタルコレクション収録の以下の2点(国立国会図書館デジタルコレクション参加館の図書館で閲覧可能な資料)
・「戸隱山に相撲道場開設」 『相撲』 6(6) 1941-06 p.55 永続的識別子番号 2363475 33コマ
・ 中山德重 「戸隠山相撲道場開設記」 『相撲』 6(9) 1941-09 p.25-30
※江馬 盛 「相撲指導法受講の所感」 『相撲』 6(9) 1941-09 p.27-30
デジタルコレクションの詳細レコード表示では※は掲載が確認できないが中山德重「戸隠山相撲道場開設記」に続いて戸隠の相撲道場に関連しての記事となる。なお、p.29(20コマ)に「戸隠道場における本抜基本練習」という土俵の前の広場のようなところで練習する人達の写真掲載あり。永続的識別子番号 2363478 18-21コマ
また信濃毎日新聞にも関連の記事がある。
・「戸隠山に相撲道場 全国に唯一 けふ竣工式 講習会で猛練」1941(昭和16)年7月29日 夕刊2ページ 夕2面 「見事に出来上がった戸隠道場」というコメントつきで写真2枚掲載あり。
・「修練道場めぐり(3)=国土安泰の武技 霊地に鍛ふ豆力士」1941(昭和16)年8月1日 朝刊4ページ 広域面 稽古する少年たちの写真が掲載されている。
長野市役所戸隠支所様の仲介により地元の方から以下の情報をいただく。
・昭和33年前後には相撲道場の土俵と土俵屋根を支えた四本柱の残骸があった。その後開発が始まり現在は跡形もないが、中社方面から越水地籍に入った辺りにあった。
・相撲の稽古のとき叩いた胴長太鼓が地元に保管されている。その太鼓には相撲云々の文字があったと思う。
- 回答プロセス
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1 当館のオンライン蔵書目録検索システムでキーワード「全項目:相撲道場」や、「全項目:相撲」かつ「分類:N」で検索するが該当の資料はヒットしない。
2 「国立国会図書館サーチ」https://iss.ndl.go.jp/で「戸隠 相撲道場」で検索すると、『相撲』の記事がヒットしたので内容を確認。
3 信濃毎日新聞データベースの「明治‐昭和の検索」でおもな見出しを検索。何件かヒットし、内容を確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 相撲
- 戸隠
- 信州学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276680