①には、「マラソンのきょりは42.195キロメートル。しかし、もともとは26マイル(41.842キロメートル)でした。1908年のロンドンオリンピックのとき、マラソンのスタート地点はイギリス王女の住むウィンザー城の門の前だったのですが、王女が「部屋から見えるように、スタート地点をお城の庭にして」と言ったため、その分きょりがのびたのです。」「紀元前490年、ギリシャのマラトンという場所で、ギリシャ軍がペルシャ軍を破りました。勝利を伝えるため、ギリシャ軍の1人の兵士が、マラトンから約40キロメートルはなれたアテネまで走り続けたといわれています。このマラトンという地名が、マラソンの語源とされています。」と細かい距離やマラソンの語源についての説明がある。
②には、「マラソンのはじまり」という項目で、「マラソンのはじまりはいつでしょう?いまからニ五〇〇年くらいまえの、紀元前四九〇年のことです。ペルシアとギリシアのあいだで、第ニペルシア戦争がおこりました。ギリシアのアテネの東北にある、マラトンの野で、はげしいたたかいがくりひろげられ、ギリシア軍が、ペルシア軍をやぶりました。このとき、ギリシアの国がかったことをしらせるために、ひとりのへいたいが、マラトンからアテネまでのながい道のりを、はしりつづけました。アテネにつくと、このへいたいは、「わたしたちの軍がかったぞ!」と、さけびました。そして、たたかいのあと、ながい道のりをはしってきた、たいへんなつかれのため、死んでしまいました。このできごとをきっかけにして、マラソンがはじまったのです。マラソンは、近代オリンピックの第八回パリ大会から、四二・一九五キロメートルをはしるということが、きめられました。いまでも、このきょりは、マラソンの正式なきょりとされています。」と説明している。
③には、「マラソンの由来と距離のなぞ」という項目で、マラソンが長距離を走ることになったことについては、「紀元前490年、ペルシャのダリウス1世は、ギリシャにせめこむために、何万人もの大軍をアテネの北東部にあるマラトンの平野に海から上陸させました。ギリシャ軍は約1万人の兵士でこれをむかえました。そして大激戦のすえ、ペルシャ軍に勝利したのです。このとき、1人の伝令が勝利を知らせるため、アテネまで走りました。その道のりは約40kmでした。」と記載がある。さらに、細かい距離について、「初めのころ、走る距離は正式にきまってはいませんでした。現在のように42.195kmと定められたのは、1924(大正13)年の第8回フランスのパリ大会です。これは第4回イギリスのロンドン大会の距離にならったものです。ロンドン大会のマラソンも、初めは競技場をスタート・ゴールとする約40kmで計画されていました。しかし、イギリスの王女が、城からスタートのようすをぜひ見たいといい出したため、スタート地点をウィンザー城の庭の芝生にしたのです。そのため、ゴールまでの距離がのび、42.195kmになったといわれています。」と記載がある。