レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/11/25
- 登録日時
- 2022/02/25 00:31
- 更新日時
- 2024/03/30 00:42
- 管理番号
- M21120415315110
- 質問
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水泳の一流派である涵泳流、また流祖の津山藩士・名村成敏について知りたい。
- 回答
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資料②『津山市史 第4巻 近世2松平藩時代』には記述なし。
資料③『津山藩士族歴代人名録・津山藩士家筋調』の「津山藩士族歴代人名録」に名村家として「運治 運治(鋒※太郎) 斧造」と3代の名前だけがある。(※「鋒」か「錬」か判別不能)
また、「津山藩士家筋調」に「名村運治 明和三戌四月十六日大番組ヒ召出高七十石」とある。
資料④「津山温知会誌 第4編」に文化9年(1812)の「津山藩分限帳」があり、「御小性組 一百四十石 △名村鋒太郎」(△は江戸定府)とある。
資料⑤『津山藩制紀 巻1』に「津山藩中格式人名録 文化十四年丁丑年十二月調」があり、「名村軍治」とあるのが「名村運治」のことと考えられる。
資料⑥『津山藩制紀 巻2』には「津山藩士家禄人名 文政十亥年十二月現在」があり、「禄高七拾石 名村運治」とある。
資料⑦『日本泳法流派史話』には水泳で知られた諸藩の名として「松平氏 美作・津山」があがっているが、涵泳流、名村成敏についてはなし。
資料⑧『武芸流派大事典』には「涵永流」(※)の項目があり、『富山市史』を参考資料にあげ「名村成政(※)。作州津山藩士名村宗左衛門の二男。神伝流の末流である。江戸に稽古所を設け指南した。」とある。
※それぞれ、涵泳流、名村成敏が正しい。
資料⑨『富山市史 第1巻』寛政8年(1796)6月の項を見ると、佐々木庸長が藩の師範となり涵泳流の練習を行ったことが出ている。涵泳流の説明として、名村成敏を祖とし、江戸で富山藩士の佐々木庸長らに水練を指南した、とある。
資料⑩『諸芸雑志 巻13』には、「名村運治成敏(シゲトシ)」の名前と、名村宗左衛門の三男で旗本の朝比奈弥次郎に水練を習い涵泳流の流祖となったこと、甲冑を着ても素肌で泳ぐのと変わりなく、陸地を歩くよりも水中のほうが楽で終日水中にあっても疲れることはないといわれるほどだったことが出ている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 水上競技 (785 9版)
- 参考資料
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資料② 津山市史編さん委員会『津山市史 第4巻 近世2松平藩時代』津山 津山市役所,1995,1冊.
資料③ 本沢信美『津山藩士族歴代人名録・津山藩士家筋調』津山 美作出版社,1973,1冊.参照は「津山藩士族歴代人名録」p.48,「津山藩士家筋調」p.22.
資料④ 「津山温知会誌 第4編」(『津山地方郷土誌 第2冊』収録) 名著出版,1977,1冊.参照はp.150.
資料⑤ 大岡忠成『津山藩制紀 巻1』 1冊.参照は「津山藩中格式人名録 文化十四年丁丑年十二月調」.(確認2021.11.25)
資料⑥ 大岡忠成『津山藩制紀 巻2』 1冊.参照は「津山藩士家禄人名 文政十亥年十二月現在」.(確認2021.11.25)
資料⑦ 瀬尾謙一『日本泳法流派史話』京都 翔雲会,1974,284p.参照はp.253.
資料⑧ 綿谷雪『武芸流派大事典』 新人物往来社,1969,823p.参照はp.170.
資料⑨ 富山市史編修委員会『富山市史 第1巻』富山 富山市,1960,1028p.参照はp.724-726.
資料⑩ 渋谷孝本『諸芸雑志 巻13』 1836,1冊.参照は「水練」の項.(確認2021.11.25) ※富山県立図書館所蔵
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資料② 津山市史編さん委員会『津山市史 第4巻 近世2松平藩時代』津山 津山市役所,1995,1冊.
- キーワード
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- 涵泳流
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2021120415305315110
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000312539