①『大研究落語と講談の図鑑』には、「寄席ってどんなところ?」の章の中で、「寄席文字は、大入り満員を祈って字の中の空きを少なくして、右上がりに書く。寄席で使われる書体。」と記載がある。
②『林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席入門 2 落語の見方・聞き方』には、「「寄席文字」のひみつ」の項目の中で、「寄席の看板には、「寄席文字」という独特の太い文字で、出演者の名前がぎっしり書かれます。客席がたくさんうまることを願って、なるべくすきまなく書くのです。文字の横棒は、右に向かってあがっていく「右肩あがり」になるように引かれています。右肩あがりとは、グラフの線が右に向かって上昇する形のことで、どんどん客数がのびて繁盛するようにという願いをあらわしています。」と記載がある。
③『柳家花緑と落語を観よう』には、「第2章 落語の舞台と道具」の中で、「高座には座布団が敷かれた高台と、演者の名前が書かれた「めくり」がある。「めくり」は、太くて大きな独特の寄席文字で書かれている。これには「お客さまがすきまなく入るように」という意味がこめられていて、同じようにお客の入りを気にする芝居の看板文字にならったといわれている。」と記載がある。
④『日本の伝統芸能を楽しむ [3] 落語・寄席芸』には、「寄席文字 「大入り満員」をねがう縁起文字」の章の中で資料①~③と同様の記載がある。また、その中の「寄席文字書家のしごと 橘流寄席文字」の項目の中で、「寄席文字は、江戸時代よりつづく歌舞伎の勘亭流、大相撲の番付文字とともに寄席の世界ではなくてはならない興行文字です。寄席文字の起源は、ビラ字といわれるものです。寛政三年(一七九一年)、岡本萬作が臨時の寄席を開き、風呂屋や髪結床など人の集まるところにビラ(ポスター)をはって宣伝しました。これが寄席ビラのはじまりといわれます。昭和四十年(一九六五年)に、橘右近(一九〇三~一九九五)が「橘流」を立ちあげ、現在の「寄席文字」を確立しました。都内にある五軒の寄席の看板、めくりなどは、すべて橘流寄席文字書家の人たちによって書かれているほか、寄席文字教室が各地で開かれています。」と記載がある。
また、「ミニ知識 書道とはどこがちがうの?」の項目では、「寄席文字は、デザイン化された文字なので、字を書くというよりも絵をかく感覚で書きます。書き順や筆の持ち方なども、書道とはまったくちがいます。書道のときは筆を立てて使いますが、寄席文字は、鉛筆を持つように筆を持ち、たっぷりと墨をふくませて、寝かせるようにして書きます。画数の多い文字は、穂先(筆の先端)を使います。」と記載がある。
さらに、「寄席文字の特徴」のコラムでは、「余白を少なく、つめて書く」「横線は右上がりに」「やや縦長に書く」「一定の太さで、線は太く」「線は平行に」「画数の多い文字ほど書きやすい」と記載がある。
その他、「寄席文字は看板のほか、高座に置かれる芸人の名を書いた「めくり」や、落語会のポスター、チラシ、手ぬぐいや扇子袋の表書きなどに使われています。」と記載があり、「幟(のぼり)」「手ぬぐいと扇子袋」「明治時代の寄席一覧表」「落語界のチラシ」等の写真が掲載されている。
⑤『図説江戸文字入門』は一般書であるが、「寄席文字」の章の中で、「ビラ字の誕生」「橘右近の登場」「ビラ字から寄席文字へ」について、資料④よりもさらに詳細な記載がある。また、寄席文字を使ったポスターが多数掲載されいている。