レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/04/10
- 登録日時
- 2020/12/19 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:41
- 管理番号
- M20041515410616
- 質問
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倉敷市歌には、1936(昭和11)年制定の初代と1967(昭和42)年制定の2代目のものがあるらしい。それぞれの制定に関わる資料を知りたい。
- 回答
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初代倉敷市歌について、資料①『高梁川 第63号』収録の寄稿「倉敷節考」中に関係する記述がある。
これによると、初代は、倉敷節とともに昭和9年10月22日に懸賞募集がなされ、昭和9年10月24日付の『山陽新報』に規程等が掲載された。
昭和10年2月5日、第一次審査委員によって111篇中優秀作品の入選候補者約10篇、佳作30篇を採択。優秀作品の選出は富田砕花に依頼した。
応募作品の中に入選に該当する作品は無かったのと、富田氏が自作の市歌を別で送ってきたことから、選歌は選歌として表彰、市歌として市民が歌うものは富田氏の作詞が採用され、作曲は岡山市出身の宮原禎次氏に依頼した、などと書かれている。
資料②『倉敷地方民謡と方言』資料③『倉敷市歌 くらしきぶし』には、初代倉敷市歌の楽譜と歌詞が掲載されている。
2代目倉敷市歌については、資料④『全国都道府県の歌・市の歌』に歌詞が掲載されており、解説には、「旧倉敷、児島、玉島の三市合併記念と新倉敷市のイメージアップのため制定された。広報紙に掲載して公募し、応募数288点であった」などと書かれている。
資料⑤『広報くらしき 昭和42年4月号』には、応募条件などを記載した募集の記事があるのが確認できる。資料⑥『広報くらしき 昭和42年10月号』では新しい市歌の歌詞と楽譜が掲載されており、同時に、作曲者の教諭の略歴や顔写真も紹介されている。
当時の新聞としては、資料⑦『山陽新聞 昭和42年10月4日朝刊』には、入選した市歌の作品テープが第4回市章市歌制定委員会で公開されたという記事がある。資料⑧『山陽新聞 昭和42年10月25日朝刊』では、合併祝賀式で市歌が披露された様子が書かれた記事がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 9版)
- 参考資料
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資料① 原圭一郎「倉敷節考」『高梁川 第63号』高梁川流域連盟,2005 参照はp.58-69
資料②『倉敷地方民謡と方言』倉敷地方観光協会,1962,12p. 参照はp.1
資料③『倉敷市歌 くらしきぶし』倉敷市,〔出版年不明〕
資料④『全国都道府県の歌・市の歌』東京堂出版,2012,431p. 参照はp.335-336
資料⑤『広報くらしき 昭和42年4月号』倉敷市 p.4-5
資料⑥『広報くらしき 昭和42年10月号』倉敷市 p.4
資料⑦『山陽新聞 昭和42年10月4日朝刊』山陽新聞社 p.4
資料⑧『山陽新聞 昭和42年10月25日朝刊』山陽新聞社 p.4
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資料① 原圭一郎「倉敷節考」『高梁川 第63号』高梁川流域連盟,2005 参照はp.58-69
- キーワード
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- 市歌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2020041515425910616
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000290951