バレエ、ダンスに関する書籍を中心に検索したところ、以下の書籍に関連する記載があった。
①『オックスフォードバレエダンス事典』には、ウラジーミル・ステパノフについての項目があり、彼について「ロシアのダンサー、教師、舞踏記譜法の創始者。サンクトペテルブルクで解剖学を学ぶ傍らマリインスキー劇場で踊り、その成果として音楽記譜の原理に基づいた独自の舞踏記譜法を開発」と記載されている。
②『The Oxford dictionary of dance』は、①の英語版であり、「Stepanov,Vladimir」の項目に、ステファノフの概要が英語で紹介されている。
③『バレエ音楽百科』、「舞踏譜」の項目には、「マリンスキー劇場の舞踏家ステパノフは「人体動作のアルファベット」(1892)を著わし,この種の方法を完成させ,彼はバレエ技法を全て記録できるようにしたので,当時の振付者プティパやイワノフの作品「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」などを記録することが可能となり,後年他国での再演に役立った」と記載されている。
また、彼の記譜法について「一般にラバノテーションとして知られる彼のシステムは,抽象的記号を用いており,使用される動きの基本的な成分を符号で表して,ダイナミックスとタイミングと連続性とを示すもので,運動のあらゆるフォームを記録できるため,種々の応用法を通じて大いに発展した。クラッシック・バレエ,モダン・バレエはもとより,ミュージカルにも使用されている」と記載されている。
④『ダンスの20世紀』には、「ステパノフは現在バレエの記譜法の考案者としてよく知られている。ステパノフはバレエ・ダンサーであったが、解剖学の授業を聞くためにペテルブルグ大学に通い、「身体運動のアルファベット」と題する論文を書き(中略)やがてこの論文はペテルブルクの帝室バレエ学校で認められ、バレエの振付が記述され保存されるようになる。ステパノフは残念なことに四年後に肺炎で死ぬが、友人であったゴルスキーはステパノフのシステムを受け継ぎ、記述されていた『クロリンダ、山の妖精の女王』再振付し上演した。そしてロシア語でステパノフ記譜法の簡単なレジュメを出版した」と記載されている。
また、CiNiiで、「記譜法」に関する論文を検索したところ、
⑤「舞踏記譜法――用途、歴史、分類、そして応用」の中で、ステファノフ記譜法の詳細が紹介されている。
「この音符方式のステファノフ・システムは、ウラジーミル・ステファノフ(Vladimir Stepanov)によって、1892年に出版された。この記譜法は、解剖学的な視点から動きを書こうとしたものである。動きは、身体の関節という観点から分析され、各関節の動きを扱えるようになった。ステファノフは、ザンクトペテルブルクのマリンスキー劇場おダンサーであった。フランスで記譜法の本を出版した後、帰国してマリンスキー劇場で、ステファノフ記譜法を教えるが、29歳にして生涯を閉じている。(中略)ステファノフの譜表は、9本の線からなり、それを頭とボディの動きに関して2線、腕の動きに関して3線、脚の動きに関して4線の3つのパートに分けている。」と記載があり、「ステファノフ・ノーテーション」という譜表図も掲載されている。論文の後半には、記譜法の読み方も紹介されている。