レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年01月11日
- 登録日時
- 2017/11/10 11:16
- 更新日時
- 2020/02/07 18:31
- 管理番号
- 広県図20170008
- 質問
-
解決
昭和2年にアメリカから贈られた「青い目の人形」と,その答礼として日本から贈られた日本人形について,広島県に関係する事項を調べたい。
- 回答
-
「青い目の人形」については,回答プロセス1に関連記述があった。
日本から贈られた答礼人形については,回答プロセス2に関連記述があった。
- 回答プロセス
-
1「青い目の人形」について調査した。
(1) 『青い目をしたお人形は』(武田英子/著,太平出版社,1981)を調査した。
p.64 各道府県人形分配数
「広島 [分配数]326」と記載あり。
p.74 「あのとき、広島での歓迎会は産業奨励館で催されました。」と記載あり。
(2) 『備南の風土記:ふるさと研究ノート』(上田靖士/著,上田靖士,2000)を調査した。
p.200-220 福山地方の「青い目の人形」
p.212 表3 広島県内で発見された「青い目の人形」
p.218-219 表6 昭和2年「青い目の人形」到着時の備南の状況
4月20~26日 「広島県商品陳列所(現原爆ドーム)へ陳列」と記載あり。
(3) 『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館 2003年度年報』を調査した。
p.22-29 本年度企画展展示資料補足紹介-青い目の人形・ニコピンだるま―
p.22-28 「友情の懸け橋 青い目の人形」展展示資料 広島県内に5体あることが記載されている。
(4) 『広島県立図書館友の会ニュース』No.38(2009.5.22)を調査した。
p.4 広島県産業奨励館物語(1) 三二六体の日米親善人形の展覧会
昭和2年4月24日付の『中国新聞』に,「アメリカから来たお人形の展覧会」という写真付の記事が掲載されたことが分かった。
(5) 『中国新聞』マイクロフィルムを調査した。
昭和2年4月24日9面 「アメリカから来たお人形の展覧会 廿日から広島物陳にて 日々夥しい入場者」という記事と,「広島へ来た青い眼の人形」の写真が掲載されていた。
2 答礼として贈られた日本人形について調査した。
(1)『青い目をしたお人形は』(武田英子/著,太平出版社,1981)(前出)を調査した。
p.129 答礼人形の送り先として「広島県 メリーランド州ボルティモア市美術館」と記載あり。
p.222-224 修復された答礼人形
昭和49(1974)年に,答礼人形の1体である「ミス広島」が修復のために里帰りしたことについて記載あり。
(2) 『芸備教育』312号(1931.1)を調査した。
巻頭ページにボルチモア美術館長から広島県知事に宛てた御礼状(和文)と,「ミス広島」の展示写真の掲載あり。
(3) 『中国新聞』昭和2年10月のマイクロフィルムを調査した。
昭和2年10月5日7面「アメリカへお使する 本県のお人形 六日から一般に観覧さす 広島商品陳列所で」記事掲載あり。
同年10月6日夕刊4面「米国へ行く黒い眼のお人形」写真のみ掲載あり。
同年10月21日夕刊6面「ミス・ヒロシマ」の可愛いゝ送別会 お人形を送るに相応しい情景」写真つきの記事掲載あり。
(4)『語りかける人形たち』(山田徳兵衛/著,東京堂出版,2001)を調査した。
p.27-29 里帰り第一号は「ミス広島」
里帰りの様子について記載あり。
(5) 『中国新聞 縮刷版』(1974年5月)を調査した。
昭和49(1974)年5月8日15面「日本人形「ミス広島」 米国から化粧直しの里帰り 47年前の親善使節 東京で修理へ」写真つきの記事の掲載あり。
(追記:2020年2月7日)
3 後日,関連事項を調査した際に,次の資料に関連の記述があった。
(1) 『核兵器ではなく花をください:エピソードで綴る日米の交流と戦争の両面史』を調査した。
p.29-37 青い目の人形と日本人形がたどった運命
広島の事例ではないが,青い目の人形とその答礼人形に関する記述あり。
(2) 『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館年報 '94年度』を調査した。
p.15-16 「青い目の人形と現在の人形交流」三谷範子
p.16に「広島県内に残る青い目の人形」「広島県内の新青い目の人形」あり。
(3) 『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館年報 2011年度』を調査した。
p.12-20 「友情人形(青い目の人形)の現状について」三谷範子
p.15-20 「戦後確認された全国の「友情人形(青い目の人形)」一覧表」(2012年3月現在)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国地方 (217)
- 人形.玩具 (759)
- 参考資料
-
- 『青い目をしたお人形は』(武田英子/著,太平出版社,1981)(p.64 各道府県人形分配数,p.72-77 忘れがたい思い出の数かず,p.128-132 博物館・美術館・図書館などへ,p.222-224 修復された答礼人形)
- 『備南の風土記:ふるさと研究ノート』(上田靖士/著,上田靖士,2000)(p.200-220 福山地方の「青い目の人形」について)
- 『日本はきもの博物館日本郷土玩具博物館94年度年報』(日本はきもの博物館,日本郷土玩具博物館/編集,1996)(p.15-16 青い目の人形と現在の人形交流)
- 『語りかける人形たち』(山田徳兵衛/著,東京堂出版,2001)(p.27-29 里帰り第一号は「ミス広島」)
- 『広島県立図書館友の会ニュース』No.38(2009.5.22)(p.4「広島県産業奨励館物語(1)三二六体の日米親善人形の展覧会)
- 『中国新聞 縮刷版』(1974年5月)(昭和49(1974)年5月8日15面「日本人形「ミス広島」 米国から化粧直しの里帰り 47年前の親善使節 東京で修理へ」)
- 『芸備教育』312号(1931.1)(巻頭ページ ボルチモア美術館長から広島県知事に宛てた御礼状(和文))
-
『中国新聞』マイクロフィルム
昭和2年4月24日9面 「アメリカから来たお人形の展覧会 廿日から広島物陳にて 日々夥しい入場者」
同年10月5日7面「アメリカへお使する 本県のお人形 六日から一般に観覧さす 広島商品陳列所で」
同年10月6日夕刊4面「米国へ行く黒い眼のお人形」※写真のみ
同年10月21日夕刊6面「ミス・ヒロシマ」の可愛い送別会 お人形を送るに相応しい情景」 - 『核兵器ではなく花をください:エピソードで綴る日米の交流と戦争の両面史』(菅野光公/著,かもがわ出版,2018)(p.29-37 青い目の人形と日本人形がたどった運命)
- 『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館年報 '94年度』(日本はきもの博物館,日本郷土玩具博物館/編集,遺芳文化財団,1995)(p.15-16 「青い目の人形と現在の人形交流」三谷範子)
- 『日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館年報 2011年度』(日本はきもの博物館,日本郷土玩具博物館/編集,遺芳文化財団,2012)(p.12-20 「友情人形(青い目の人形)の現状について」三谷範子)
- キーワード
-
- 青い目の人形
- 答礼人形
- ミス広島
- 広島広子
- 市松人形
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000224503