レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月26日
- 登録日時
- 2022/08/26 18:12
- 更新日時
- 2023/03/19 12:52
- 管理番号
- 県立長野-22-095
- 質問
-
未解決
戦前の日本画家で、台湾美術教育に貢献した郷原古統(ごうはら ことう)の旧制松本中学時代について調べている。校友会誌のようなものに掲載されているものはあるか。
- 回答
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『深志人物誌2』深志同窓会編・刊 1996【N283/9/2】p.160-173に「郷原古統」があり、その生涯について記述がある。p.164-165に中学時代の図画教師武井真澄や友人との交流について書かれている。
旧制松本中学の『校友』および、校友会誌にあたるような資料は、当館では所蔵していない。なお、台湾時代の郷原については、『語られなかった日本人画家たちの真実』森美根子著 振学出版 2018【702.22/モミ】に詳しい。
郷原古統は広丘小学校、開智小学校を経て旧制松本中学へ進学している。幼少期を過ごした地域の資料に、以下の記述があった。
・『松本の美術 十三人集』「松本の美術」刊行委員会編 郷土出版社 1982【N720/7】
p.245-247に郷原古統の略歴と略年譜がある。松本開智小学校時代(明治32年12歳)に、「全校図画コンクールに一席となる」とあった。
・『広丘小学校開校八十周年記念誌』 広丘小学校編 塩尻市立広丘小学校 1969 【N376.2/30】
p.258-259の人物誌に、郷原古統があり、略歴の他、昭和37年の「七十六翁郷原古統先生寿碑除幕式
の折の謝辞」の抜粋が掲載されている。
・『東筑摩郡松本市・塩尻市誌 別篇人名』
東筑摩郡松本市・塩尻市誌郷土史料編纂会編・刊 1982【N233/10/別2】
p.200上段 に郷原古統がある。
- 回答プロセス
-
1 旧制松本中学(現・松本深高等学校)の校友会誌、学校史等を確認する。在学中の郷原についての記述は確認できない。
2 日本画家であることから、長野県の美術に関する資料を探す。『松本の美術 十三人集』に開智小学校時代の記述を見つける。略年譜に広丘小学校にも在籍したことがわかる。
3 両小学校の学校史を調べる。
4 郷原の幼少期を過ごした塩尻市郷原宿周辺の誌史類を調べる。
<調査資料>
・『深志百年』 深志同窓会編・刊 1978【N376.4/67】
p.358-365にかけて、いわゆる美術部にあたる「アカシア会」の活動の記述があるが、郷原藤一郎についての記述は確認できなかった。
・『長野県松本中学校・長野県松本深志高等学校九十年史』
有賀義人[ほか]著 長野県松本深志高等学校同窓会 1977【N376.4/64】
・『松本深志高校ものがたり』 毎日新聞松本支局編 郷土出版社 1989【N376.4/164】
・『深志物語 上』 Tombow office編 学校士出版 1995【N376.4/203/1】
・『深志物語 下』 Tombow office編 学校士出版 1995【N376.4/203/2】
・『松中深志高百年の歩み』
滝澤安男編 信州往来社 1976(「信州往来」別冊 第2巻第10号)【N376.4/65】
・『百年記念特集』 百年記念特集委員会編 深志百年記念事業実行委員会 1977【N376.4/34】
・『校友 名簿號』 長野県立松本中学校校友編輯局 1913【N376/76】
・『会員名簿』 深志同窓会1964【N376.4/33/1】
p.45に「第27回(明治39年)」の卒業生に名前が見られる。
・『塩尻市誌 第3巻』 塩尻市誌編纂委員会編 塩尻市 1992【N233/97/3】
p.919にわずかに記述がある。
・雑誌「信濃教育」総目次
・雑誌「信濃教育」続総目次
・雑誌「信濃教育」続々総目次
・『史料開智学校 第1巻 学校日誌1』
重要文化財旧開智学校資料集刊行会編 電算出版企画1988【N376.2/214/1】
p.220-228に明治32年度9月-3月の学校日誌があるが、全校図画コンクールにあたる行事の記述は確
認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 郷原古統
- 郷原藤一郎
- 台湾美術展
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000320322