レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年06月09日
- 登録日時
- 2020/09/09 10:10
- 更新日時
- 2020/10/27 17:36
- 管理番号
- 大分県立郷土-2020-005
- 質問
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解決
大分県内の疫病に関する石碑がわかる資料はあるか。
- 回答
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以下の資料、新聞を紹介。
【1】『「大分」の発祥地上野丘・南大分周辺の歴史散索』 加藤 貞弘/著 上陵舎 1994
p111-112 祇園社弥栄神社の入り口に立つ1864年の銘が入った鳥居に願文が刻まれており、「いかにも疫神であり」と紹介されている。
【2】『大越川流域の民俗と信仰』 五十川 千代見/著 五十川千代見 2000
p79-80 「疫病神祭り」の項目内に鎮禮神社の境内に祀られている石祠の紹介あり。
【3】『石碑・石塔をたずねて』 上緒方ことぶき会/編 上緒方ことぶき会 1986
p82 病除塔として、石塔の紹介あり。寛政の頃流行した疫病が村に侵入するのを防ぐために建立されたものだという紹介。
【4】『北浦部 庶民の祈り』 国見町文化財調査委員会/編 国見町文化財調査委員会 2000
p11,33,82,128,187 国見町の疫病よけの祭神を紹介。各境内にある石塔などの銘も記載。
【5】『田舎新聞』1879年11月22日1ページ
「コレラによる死者の埋葬のために石碑などを建立するのは当分の間差し控え、寒い季節になるまで見合わせるように」という内容の通達が下毛郡群長から出されたと書かれている。
『田舎新聞』1880年1月28日1ページ
「衛達第壹號」として、県書記官から各郡役所・各町村役所に向けて「コレラで死亡した患者の親族に対し、参詣や墓碑建立を見合わせるよう伝えるように」と通達を出している。
- 回答プロセス
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1 自館蔵書検索システムで「疫病」「石碑」「碑」などをキーワードに検索し、資料確認。
2 郷土関係の新聞の見出し検索をし、資料確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- オブジェ (719 10版)
- 九州地方 (219 10版)
- 参考資料
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加藤貞弘 著 , 加藤, 貞弘. 「大分」の発祥地上野丘・南大分周辺の歴史散索. 上陵舎, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086755236-00 -
五十川千代見 著 , 五十川, 千代見. 大越川流域の民俗と信仰. 五十川千代見, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086626057-00 -
上緒方ことぶき会 編 , 上緒方ことぶき会. 石碑・石塔をたずねて. 上緒方ことぶき会, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086699217-00 -
国見町文化財調査委員会 編 , 国見町文化財調査委員会. 北浦部 庶民の祈り. 国見町文化財調査委員会, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I087206631-00
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加藤貞弘 著 , 加藤, 貞弘. 「大分」の発祥地上野丘・南大分周辺の歴史散索. 上陵舎, 1994.
- キーワード
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- 石碑
- 疫病
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000286915