レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年08月30日
- 登録日時
- 2022/10/29 16:16
- 更新日時
- 2023/10/04 12:11
- 管理番号
- 相橋-R4-24
- 質問
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解決
江戸時代の絵師、長沢蘆雪(ながさわ ろせつ)の和歌山県串本町無量寺(むりょうじ)の襖絵『虎図』の裏側に描かれた絵の題名と制作年が知りたい。
- 回答
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絵の題名は『薔薇に猫・鳥図』。
「『虎図』裏面の猫の親子(『薔薇に猫・鳥図』部分)」と、①『江戸の絵を愉しむ 視覚のトリック』に記載がある。
制作年は②『日本美術全集 19』、③『奇想の系譜』から、1786~87年(天明六、七)年頃、長沢蘆雪(三十三歳から、三十四歳にかけて)の作品と考えられる。
- 回答プロセス
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市内OPACにてキーワード“ナガサワ ロセツ”で検索したところ、以下の資料が見つかった。
①『江戸の絵を愉しむ 視覚のトリック』 (自館請求記号:S721.025)
口絵p4「『虎図』長沢芦雪筆(無量寺蔵)」に「虎図」あり。
p32-45「紙芝居効果―芦雪の[虎]」の項に、該当の絵の解説あり。
p40「図Ⅰ-7 『虎図』裏面の猫の親子(『薔薇に猫・鳥図』部分)」と解説された絵あり。
②『日本美術全集 19』 (自館請求記号:702.1/橙/大型)
p224「図版解説 84 龍虎図襖(りゅうこずふすま) 長沢蘆雪(ながさわろせつ)筆 重文 無量寺 和歌山」の項に、「一七八六、七(天明六、七)年頃 紙本墨画 十二面 各 縦一八三.五㎝ 横一一五.五㎝ [平安蘆雪写」[魚]朱文氷形印」とある。
以下は市内他館に所蔵あり
③『奇想の系譜』 (市内請求記号:B721.025)
p179-207「鳥獣悪戯―長沢蘆雪」の項に、「(応挙の代役を勤めることになった蘆雪は、)天明六年(一七八六)暮から、翌天明七年の春先にかけて、無量寺をはじめ西向(にしむかい)の成就寺、富田(とんだ)の草堂寺、田辺の高山寺をまわり、多くの襖絵や屏風を描いた。[虎図](無量寺)をはじめ、南紀の蘆雪画として近来評価を高めているのがこの折(三十三歳から、三十四歳にかけて)の作品である。」とある。
p185『67 虎図襖 無量寺』の写真あり。
以下の資料は該当なし。
『すぐわかる画家別近世日本絵画の見かた』 (自館請求記号:721.025)
p66-67「江戸時代中期 十八世紀初頭~十八世紀末 長沢芦雪 奇抜な着想でド肝をぬく」の項に、長沢芦雪の作品に触れているが、該当の記載なし。
『もっと知りたい長沢蘆雪 生涯と作品』 (市内請求記号:721.6)
p11-15「Ⅰ部 蘆雪の足跡 2 紀南行き 天明六年から七年頃」の項に、『虎図』の写真や解説はあるが、該当の記載なし。
『名画日本史 1巻 イメージの1000年王国をゆく』 (市内請求記号:721)
p70-71「虎図 仏教を極めようと、遥かシンガポールへ。そこで虎に食べられた元皇太子がいた」の項に、「長沢蘆雪[虎図] 重要文化財 1786~87年 紙本墨画 襖絵 4面各180.2×116cm 和歌山・串本応挙蘆雪館 1707年、南紀を襲った大津波で被災した串本の無量寺は、80年後、ようやく再建なった。新しい本堂を絵で飾るために、円山応挙の代理人として京都から派遣されたのが蘆雪だった」と解説された『虎図』あり。
p70-77「虎図 仏教を極めようと、遥かシンガポールへ。そこで虎に食べられた元皇太子がいた」の項に、『虎図』の解説はあるが、該当の記載なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721)
- 参考資料
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- 『江戸の絵を愉しむ 視覚のトリック』 榊原悟/著 岩波書店 2003
- 『日本美術全集 19』 小林忠/(他)著者 講談社 1993
- 『奇想の系譜』 辻惟雄/著 筑摩書房 2004
- キーワード
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- 長沢蘆雪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323200