レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月21日
- 登録日時
- 2016/12/09 00:30
- 更新日時
- 2020/09/16 18:30
- 管理番号
- 広県図20170013
- 質問
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解決
「原爆焼」というものについて知りたい。
- 回答
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『中国新聞』に,次のとおり関連記事あり。
2016年5月19日29面「「原爆焼」福山で発見 神辺の団体50年ごろ制作 爆心地の土混ぜ悲劇伝える 来月にも県歴博に寄贈」
「第2次世界大戦後、福山市神辺町の団体が、広島市の原爆の爆心地近くの土を混ぜて制作した陶器「原爆焼」が福山市で見つかった。悲劇を伝え売り上げを復興などに充てるため1950年ごろ作られたとみられる。(略)同封の文書には、制作者は神辺町の「広島原爆記念会」と記され、「子々孫々永久後世に伝える目的」などと制作意図もつづられる。」
2016年5月19日24面「平和の思い伝える品 原爆焼発見 延時さん「あるべきところへ」」
2016年6月5日28面「県東部から被爆地支援 「原爆焼」福山で見つかる ヒロシマつなぐ資料(フロントライン備後)」
2016年6月22日25面「原爆焼 広島にもあった 安佐南区の手島さんが保管 沼田公民館で30日まで展示 爆心地の土混ぜ製作」
2016年7月23日29面「「原爆焼」発見 7点に 広島・岡山 福山で3点公開へ」
事例登録時に再度検索したところ,次の記事が見付かった。
2018年3月9日29面「永井博士に「原爆焼」 広島で礼状発見 長崎の3点確認 被爆地つなぐ役割注目」
「広島の原爆爆心地近くの土を混ぜて制作された陶器「原爆焼」が、長崎で被爆しながら救護に当たった医師、永井隆博士(1908~51年)に贈られていたことが8日、分かった。(略)原爆焼を贈ったとみられるのは、中国新聞社の速記部長を務めた故山本康夫さん。(略)原爆焼は福山市神辺町の団体が50年ごろに制作。長く現存を確認できなかったが、2年前に同市で発見された。(略)長崎の3点を含め、これまでに16点が見つかっている。」
また,次の資料に関連の論文が掲載されている。
『広島県立歴史博物館研究紀要 第19号』広島県立歴史博物館/編集,広島県立歴史博物館,2017【H20.52/ケレキ2/V.19ア】
p.(11)-(24) 「広島原爆焼について」白井比佐雄,向田裕始
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 陶磁工芸 (751 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 原爆焼
- 広島原爆記念会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000201479