レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/28
- 登録日時
- 2021/01/29 00:30
- 更新日時
- 2021/01/29 00:30
- 管理番号
- 6001047869
- 質問
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解決
千里放送所について知りたい。また、千里放送所の写真が見たい。
- 回答
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次の資料に記載がある。
■『吹田市史 第3巻』(吹田市史編さん委員会/編集 吹田市役所 1989.3)
・「第四章 戦前昭和期の吹田地方 第一節 吹田市域の町村の推移」に「千里放送所」(p.266-268)の項目がある。千里放送所ができた経緯や、昭和3年5月20日に「本放送を開始」したことなど書かれている。
・p.267に「JOBK千里放送所」の写真(昭和2年11月23日付の『大阪毎日新聞』の「千里放送所 建物は殆ど出来上り」の記事の掲載)がある。
・「第四章 戦前昭和期の吹田地方 第一節 吹田市域の町村の推移」に「当時のラヂオ」(p.268-270)の項目があり、ここに「昭和二十六年十一月三日、堺放送所の運用開始とともに、千里放送所は四分の一世紀に近い歴史を閉じた。」と記載がある。
■『こちらJOBK NHK大阪放送局七十年』(NHK大阪放送局・七十年史編集委員会/企画・編集 日本放送協会大阪放送局 1995)
・p.37に「千里放送所」について記載がある。千里放送所ができた経緯、出力が十キロワットで「地元では十キロ放送と呼」ばれていたことなど書かれている。ここにも「送信開始は昭和三年五月二十日」で「昭和二十六年十一月、五倍の五十キロワット増力にともないBKの放送所は、堺に移り、千里放送所はその役割を終えた。」とある。
・一度だけ「戦後二十一年十月の放送ストライキの時」に電波が止まったことも記載されている。
・「BK千里放送所完成」の写真と、「完成間もない千里放送所見学に訪れた人々」の2点の写真が掲載されている。
・「室戸台風、BKサービス班出動」(p.71-72)に台風の中、電池による放送を続けたことなど、千里放送所について記載がある。
・p.94「短波受信の禁止・雑音放送」に「BKには東京などとの業務連絡の必要上、馬場町の本館や千里放送所、藤井寺予備放送所などに、ひとかかえもある大きなオールウェーブ受信機が据えつけられていた。」とある。
■『豊中・吹田今昔写真帖 豊中市・吹田市』(佐々木進/監修 郷土出版社 2007.11)
p.43「JOBK 放送鉄塔付近」の「昭和28年頃」と「平成19年」の写真がある。千里放送所についての説明もあり、「かつてラジオ放送の花形であったNHK千里放送所は、その任を堺放送所に譲ったあとにアサヒビール大阪工場として活用され、エビオス(整腸剤)の生産をしていた。」などの記載がある。
■毎日新聞のデータベース「毎索」
・大阪毎日新聞朝刊 昭和2年11月23日9面
『吹田市史』に掲載のあった「千里放送所 建物は殆んど出来上り」という記事があり、「七月中旬起工式を行ひ、敷地の中央に鉄筋コンクリート二回建放送機械室三百三坪、倉庫火造物十坪、附属舎宅七戸百十三坪の工程を急いでゐたが、建築は殆ど出来上り」など、千里放送所について記載がある。
なお、写真について、「写真は新設中の千里放送所」とある。
・大阪毎日新聞朝刊 昭和3年5月21日7面
「十キロ放送 東西呼応して愈々蓋開け AKの新郷・BKの千里 両放送所の開所式」という記事があり、
「JOBK十キロ放送は千里放送所の開所と同時にJOAKと呼応して廿日午前十一時から開始された」とある。
[事例作成日:2020年12月28日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 放送事業 (699 10版)
- 参考資料
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- 吹田市史 第3巻 吹田市史編さん委員会∥編集 吹田市役所 1989.3 (266-270)
- こちらJOBK NHK大阪放送局・七十年史編集委員会∥企画・編集 日本放送協会大阪放送局 1995 (37、71-72、94)
- 豊中・吹田今昔写真帖 佐々木/進∥監修 郷土出版社 2007.11 (43)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000293114