レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年5月14日
- 登録日時
- 2021/08/12 15:24
- 更新日時
- 2021/08/12 15:38
- 管理番号
- 蒲郡-2021-05141-A
- 質問
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解決
「竹島橋」について概要を知りたい。
- 回答
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もともと橋がなく、12年に一度の御開帳の時だけ臨時に木橋が渡されていた。
蒲郡保勝改善会の鈴木平吉を中心に永代橋を架ける調査をしているのを耳にした
滝信四郎(たきのぶしろう)が橋の寄進を思い立ち、町当局(町長中川甚五郎・助役大村賢次)へ申し出た。滝は私費で架橋して蒲郡町に寄付した。
橋が渡されたことにより、観光客が激増。周囲の幹線道路や、観光事業などの開発が進められた。
昭和6年9月、施工費31,700円で着工
昭和7年4月20日渡橋式挙行
施工者、小原善太郎
全長416.90m
幅員4.12m
昭和28年の13号台風、昭和34年の伊勢湾台風により多大な被害を受ける。
橋南側の四連が流出、落下。
大急ぎで復旧され、昭和35年4月1日には復元。渡橋式が行われた。
昭和35年より、台風による多大な被害を防ぐため、愛知県の海岸線では防波堤の工事が進められる。防波堤のために海岸線が埋め立てられ、竹島橋の全長が短くなる。
昭和61年2月13日新竹島橋完成。
全長387.3m
幅員4.3m
手すりは軽合金製
橋の両側には約20mごとに40基の水銀灯が灯る。
竹島橋は“縁結びの橋”と呼ばれている。夫婦やカップルで橋を渡ると縁起が良いとされている。
- 回答プロセス
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1.初めてかけられた竹島橋について調べる
①書架より直接調べる。
『蒲郡市史 本文編3』p426「竹島橋と観光ホテル」にて、竹島海岸の開発について詳しく解説がある。遊園地などを備えた公園が造られたことに始まり、滝信四郎が竹島橋、蒲郡ホテルを作ったこと、名古屋鉄道局が本宿蒲郡間に臨時バスを走らせたことなどがわかる。
『竹島周辺開発に寄せるロマン』p8「滝信四郎の足跡」にて、竹島橋を寄進したことについての記事があった。「当時、海岸から竹島へ渡るのに干潮時は歩行できたが、それ以外は小舟の便しかなかった。観光開発の一環として竹島橋をつくり、町へ寄付。施工者、小原善太郎。昭和7年完成。」
②蒲郡ホテルと関係があるということで、蒲郡ホテルについて詳しく書かれている資料を見てみる。
『近代日本における国際リゾート地開発の史的研究 1930年代国際観光政策に伴うリゾート空間の形成について』p256-「第4章 臨海地において景勝を利用した国際リゾート地開発」の「第1節 蒲郡ホテルと国際リゾート地開発」の中で、p261「ところで、本計画ではホテル等の営利施設にとどまらず、観光地の魅力を創出するための関連施設も計画されていた。」とし、「①『竹島ヘ展望及納涼所三ヶ所ヲ有スル延長二百四十間ノ架橋」があげられている。さらに、「①は1932年に滝の寄付によってRC造の恒久橋である竹島橋として建設された。」とあった。参考資料として『蒲郡市史(誤記か?)資料編』p686-687があげられている。
③『蒲郡市誌 資料編』を見てみる。
p686-687「3 竹島橋架設工事概要」あり。
「竹島弁天開帳のときだけ臨時の木橋がかけられていたが、昭和7年名古屋の繊維問屋滝信四郎が私費でコンクリート架橋して蒲郡町に寄付した。
1.位置 宝飯郡蒲郡町大字府相字城山地先
1.橋長 416.9m
1.幅員 総幅員 4.12m
(総面積 1,559.5㎡)
有効幅員 3.64m
(有効面積 1,376.0㎡)(後略)」とある。
また、こちらに参考資料として「蒲郡町合併三十周年記念誌」「蒲郡市誌 本文編903頁」があげられていた。
④『蒲郡町合併三十周年記念誌』を見てみる。p36に「竹島橋架設工事概要」があった。内容は『蒲郡市誌 資料編』に書いてあるものと同じ。
⑤『蒲郡市誌 本文編』を見る。p626「竹島橋と観光ホテル」にて、滝信四郎が橋の寄進を思い立つところから、蒲郡ホテルを建てるまでの解説があった。
またp903「遊園地型観光地」の中に竹島橋がかけられるまでのいきさつが書いてあった。
⑥関係人物から探してみる。
『蒲郡の人』p109-110「竹島を開いた恩人・滝信四郎」にて、竹島橋完成するまでの記述がある。竹島橋ができたあと、蒲郡海岸が急激ににぎわっていったと書いてある。このころ政府は外地観光客の誘致に力を入れていたため、滝は町当局と協力し、国際観光ホテル第1号である蒲郡ホテルを建設する、など観光蒲郡の発展のために尽くしたことが書かれている。
同p111-112には、「平家めんのう生き仏」として、竹島橋をかけるために渡客調査をした鈴木平吉についての記述がある。
同p113-114には、「観光蒲郡のもとを作った」として、蒲郡のシンボルとして竹島橋を完成させ、また鉢地(はっち)トンネルを貫通させ、観光蒲郡の素因を作った大村賢次についての記述がある。
⑦『蒲郡春秋 The history of our town』p95「滝信四郎」のページで常磐館を開業したことや、橋を架設したことについて書かれている。
⑧別件のレファレンスで使用していた資料の中に、関係する記述を見つける。
『日本雑記』p299「蒲郡」に記述あり。ドイツの建築家であるブルーノ・タウトは、1934年3月22日新築の蒲郡ホテルに泊り、翌日の朝、眼前の弁天島をみて、コンクリート橋のデザインは単体としては良いが、島を台無しにしている、橋の石碑彫刻にある何某金百円也とあるのは悪趣味だと日記に書いている。
2.伊勢湾台風にて被害を受けたことについて調べる
①書架より直接調べる。
『蒲郡市史 本文編4』p93に「竹島付近では、竹島橋は南の四連が流出し、観光協会売店は土台まで流れ、姿はなくなっていた。」とあり、p94には写真資料があり、「落下した竹島橋(竹島町):観光蒲郡のシンボルであったため、大急ぎで復旧され昭和35年4月1日には渡橋式が行われた。」と書かれている。
同p289には、「34年の伊勢湾台風後に、海岸一帯に高潮防潮提が張りめぐらされ、さらに30年代後半から40年代初期にかけて海岸線の埋め立てが進められた。白砂清松とうたわれた美しい海岸はその姿を消し、いくつかの海水浴場が機能を失っていった。」とある。この工事で竹島橋の全長が短くなったと考えられる。
②また、『一市民が見た蒲郡市制50周年史』p16昭和35年4月1日の項に「伊勢湾台風で流出した『竹島橋』が復元し、渡橋式が行われる。」との記述あり。
3.新竹島橋について調べる
①書架より直接調べる。
『一市民が見た蒲郡市制50周年史』p127昭和61年2月13日の項に「新『竹島橋』が完成する。長さ387.3m幅4.3m橋の両側には約20m毎に40基の水銀灯が灯ります。」との記述あり。
②新橋が架かった日にちが分かったので、広報を見てみる。
「広報がまごおり」昭和61年4月1日号p12「観光蒲郡のシンボル 新竹島橋が完成」に記事があった。「竹島橋メ・モ・リー」に写真が掲載。明治35年、大正6年、昭和6年初代竹島橋、昭和34年伊勢湾台風での落橋の写真が掲載されている。
③新聞記事でも探してみる。
「蒲郡新聞」昭和61年4月19日(土)にて、新竹島橋について大々的に報じている。一面は「記念式典は分きざみ 新竹島橋完成式 行列含め市長は一人三役の多忙」の見出し。2面は「計画次々に広がる エスカレートした時代行列」、3面は「21世紀へ架ける橋 竹島橋架替の完成を祝して」と県議会議員松山茂朗が寄稿。4面は「世界へ結ぶ夢の橋 島あって美しく橋ありて歌に」県議会議員鈴木克昌が寄稿。5面は「竹島橋完成記念祝賀マップ」として、新旧竹島橋のプロフィールを掲載。
「蒲郡新聞」昭和61年4月23日(水)では、竹島橋完成祝賀式の様子が書かれていた。
4.現在の様子について調べる
蒲郡市観光協会公式サイトより
「竹島橋は縁結びの橋と呼ばれているので、相手と中央を開けない、渡りきるまで振り返らない…など気をつけて渡ってください。夫婦・カップルで訪れた際には、ぜひ仲良く手をつないで歩いてみてはいかがでしょうか。」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 観光事業 (689 10版)
- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 3(近代編・民俗編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182185-00 -
蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 4(現代編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182187-00 -
砂本文彦著 , 砂本, 文彦. 近代日本における国際リゾート地開発の史的研究 : 1930年代国際観光政策に伴うリゾート空間の形成について. 砂本文彦, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I001311311-00 -
蒲郡市誌編纂委員会, 蒲郡市教育委員会 編 , 蒲郡市 , 蒲郡市教育委員会. 蒲郡市誌 資料編. 蒲郡市, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002629705-00 - 蒲郡町合併三十周年記念誌,竹内 荒太郎∥著,蒲郡町,1936
-
蒲郡市誌編纂委員会,蒲郡市教育委員会編 , 蒲郡市 , 蒲郡市教育委員会. 蒲郡市誌 史料目録,[本文編],資料編. 蒲郡市, 1972.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008363025-00 -
蒲郡市教員会編集 , 蒲郡市教員会. 蒲郡の人. [蒲郡市教員会], 1964.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I009584400-00 -
蒲郡青年会議所 , 蒲郡, 青年, 会議所. 蒲郡 春秋. 蒲郡青年会議所, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096701406-00 -
ブルーノ・タウト [著] , 篠田英雄 訳 , Taut, Bruno, 1880-1938 , 篠田, 英雄, 1897-1989. 日本雑記. 中央公論新社, 2008. (中公クラシックス ; W54)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009916025-00 , ISBN 9784121601063 -
一市民が見た蒲郡市制50周年史 : 昭和29年4月?平成16年4月. 芦川訓雄, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026749844-00 - 広報がまごおり,蒲郡市
- 蒲郡新聞,蒲郡新聞社
- 蒲郡市観光協会公式サイトhttps://www.gamagori.jp/spot/750(2021.8.11確認)
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 3(近代編・民俗編). 蒲郡市, 2006.
- キーワード
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- 竹島橋
- 滝信四郎
- 伊勢湾台風
- 竹島
- 御開帳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000303066