レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月19日
- 登録日時
- 2021/08/09 17:08
- 更新日時
- 2021/09/21 12:45
- 管理番号
- 蒲郡-2021-07191-A
- 質問
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解決
蒲郡ホテルの伝説的支配人と言われている三村三時について知りたい。
- 回答
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『東三知名録』1957年版 p393に経歴等の記述あり。
『蒲郡ホテル再開三周年に寄せて』p19に、滝信四郎が三村を常磐館の責任者として経営にあたらせたことが書かれている。また蒲郡ホテル完成後、天皇皇后両陛下がお泊りになった時の専務が三村だとの記述がある。
また、p20に吉田初三郎の描いた鳥瞰図と、その解説にて三村がどのように経営に尽くしたかの記述があった。
『蒲郡の人』p109「竹島を開いた恩人・滝信四郎」にて、滝が常磐館・蒲郡ホテルを開くにあたり、三村を責任者として経営にあたらせたエピソードが書かれている。
おいでん1983冬号vol.6「特集 あゝ、常磐館」p3に顔写真(白黒)あり、p8に夫人から見た人物像の記事があった。
「蒲郡新聞」昭和36(1961)年9月16日号「観光の巨星墜つ 三村三時氏不滅の功績残して逝く」に訃報掲載。
また、同紙に死去から10年たったということで、生前の記述の中から再録された記事あり。
昭和45(1970)年5月6日号「サービス一筋四十年(1)茶代廃止の先がけ 元常磐館専務故三村三時氏」
昭和45(1970)年5月9日号「サービス一筋四十年(2)室料制度も先駆者 元常磐館専務故三村三時氏」
昭和45(1970)年5月13日号「サービス一筋四十年(3)客の意見で改善 元常磐館専務故三村三時氏」
朝日新聞昭和32年4月11日8面「横顔 両陛下の御宿舎になった蒲郡ホテル総支配人 三村三時氏」の見出しで、記事あり。常に羽織袴でいたこと、日本調の趣味に広く、観世流の謡曲が得意なこと、略歴などがわかる。
- 回答プロセス
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1.直接書架より、『東三知名録』 1957年版 p393に経歴等の記述あり。
2.観光ボランティアガイドの方より、記事が書かれていた覚えがあるとのこと。
『蒲郡ホテル再開三周年に寄せて』p19「蒲郡ホテル再開三周年に寄せて(19)大村町長とホテル」
記事内に、滝信四郎のことについて書かれている中に、三村三時の名前が出てくる。引用文献の記述あり。→『蒲郡の人』当館所蔵あり。
また、p20「蒲郡ホテル再開三周年に寄せて(20)常磐館の鳥瞰図」より、吉田初三郎の描いた鳥瞰図に「絵に添えて一筆」と添えられている文章について書かれている。前半は常磐館のすばらしさが書かれてある。後半に「三村氏の志またここにあり」とあり、どのように経営に尽くしたかが、熱烈に書かれている。
3.1.で引用文献として記述があったので、こちらの資料を見てみる。
『蒲郡の人』p109「竹島を開いた恩人・滝信四郎」
「名古屋で古くから繊維問屋を営む滝家は、明治中頃より東海道の景勝地蒲郡の府相海岸に別荘を持っていた。従業員の三村三時はふとしたことから病魔に見舞われ、養生につとめたが思うように快方に向かわない。社長の五代目信四郎の指図で、蒲郡の別荘で療養するようになり、三村は感涙にむせび別荘に移った。」とはじまっている。
そこから、滝が常磐館を開業し、責任者として三村を経営にあたらせたことが書かれている。
その後蒲郡ホテルを建て、昭和32年に天皇皇后両陛下がお泊りになり、その時の専務が三村であったことも書かれている。
4.書架より、「おいでん」1983冬号vol.6「特集 あゝ、常磐館」より、p3に紋付で映る写真があり、「紋付ハカマで通した、伝説の支配人、故三村三時氏」との記述があった。同p8には、三村三時の夫人三村クニが、三時について語っている記事があった。
5.博物館の学芸員さんより、「蒲郡新聞」にいくつかの記事が掲載されているとのこと。
「蒲郡新聞」昭和36(1961)年9月16日号「観光の巨星墜つ 三村三時氏不滅の功績残して逝く」に訃報掲載。
また、同紙に死去から10年たったということで、生前の記述の中から再録された記事あり。
同昭和45(1970)年5月6日号「サービス一筋四十年(1)茶代廃止の先がけ 元常磐館専務故三村三時氏」
同昭和45(1970)年5月9日号「サービス一筋四十年(2)室料制度も先駆者 元常磐館専務故三村三時氏」
同昭和45(1970)年5月13日号「サービス一筋四十年(3)客の意見で改善 元常磐館専務故三村三時氏」
6.別件のレファレンスより、記事を発見。
朝日新聞昭和32年4月11日8面「横顔 両陛下の御宿舎になった蒲郡ホテル総支配人 三村三時氏」の見出しで、記事あり。常に羽織袴でいたこと、日本調の趣味に広く、観世流の謡曲が得意なこと、略歴などがわかる。
- 事前調査事項
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蒲郡ホテルは、1912年創業の料理旅館常磐館(ときわかん)の別館として、1934年に建てられた城郭風建築のホテルであり、鉄道省認定の国際観光ホテル第1号。ベース・ルースや昭和天皇皇后両陛下などの著名人が多数宿泊。
1980年経営悪化により蒲郡市へ売却。
1987年に蒲郡プリンスホテルとして再オープン。
2012年呉竹荘グループへ事業譲渡され、蒲郡クラシックホテルと改称される。
(『蒲郡市史』本文編全4巻、蒲郡クラシックホテル公式ホームページより)
2021年現在、三河三谷駅前にある同名の蒲郡ホテルとは経営者が別である。
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 観光事業 (689)
- 参考資料
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不二タイムス社 , 不二タイムス社. 東三知名録 1957年版. 不二タイムス社, 1957.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068923326-00 -
鈴木慶三郎 [著] , 鈴木, 慶三郎. 蒲郡ホテル再開三周年に寄せて. [鈴木慶三郎], 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096676518-00 -
蒲郡市教員会編集 , 蒲郡市教員会. 蒲郡の人. [蒲郡市教員会], 1964.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I009584400-00 - 蒲郡名撰「おいでん」,おいでん編集室∥編集,柴田 正明∥編集,蒲郡,蒲郡市,谷口 徹/発行,1981-2000年,季刊
- 蒲郡新聞,蒲郡新聞社,週2回発行
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菊池寛 著 , 菊池寛. 新珠・火華. 平凡社, 1929. (菊池寛全集 ; 第6巻)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077837388-00 - 朝日新聞
- 蒲郡クラシックホテル公式オームページ https://gamagori-classic-hotel.com/ (2021.9.21確認)
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 1(原始古代編・中世編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182175-00 -
蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 2(近世編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182181-00 -
蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 3(近代編・民俗編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182185-00 -
蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 4(現代編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182187-00
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不二タイムス社 , 不二タイムス社. 東三知名録 1957年版. 不二タイムス社, 1957.
- キーワード
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- 三村三時
- 蒲郡ホテル
- 常磐館
- 滝信四郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「蒲郡新聞」の記事より、「茶代廃止の先がけ」とあり、このことについての裏付けとして、菊池寛の小説『火華』に反映されているシーンがある。
『火華』は蒲郡ホテルを舞台に書かれた小説で、はじめの方でホテルに到着した令嬢が番頭に心付を渡そうとする。
「令嬢は、軽く番頭を呼び止めると、女中に目配せした。(中略)
『恐れ入りますが、当館はお茶代は、何方様からも戴かないことになって居ります。その代わり規定通りの室料を戴くことになって居りますから、これは失礼ながら、どうぞお収め下すって。』
そう云って、番頭は幾度も、お辞儀をした。」
(『菊池寛全集』第6巻p429より抜粋)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 書誌的事項調査 所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000302982