レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/10/24
- 登録日時
- 2021/11/27 00:30
- 更新日時
- 2021/11/27 00:30
- 管理番号
- 6001052471
- 質問
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解決
国内の民間航空会社が機内サービスで食事や飲み物を提供し始めたのはいつ頃からか。
- 回答
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現在の大手民間航空会社では、日本航空は昭和26年10月25日から、全日本空輸は昭和30年頃からのようです。
戦前の民間航空会社では、昭和6年の新聞記事や、昭和10年頃からとしている回顧録がありました。
以下の資料で確認しました。
・『JALグループ50年の航跡:1951~2001』(日本航空広報部/編纂 日本航空 2002.2)
*CD-ROM
日本航空の社史です。分野別年表が収録されています。(フォルダ「data」→「nenji」)
「商品・サービス」の中に「機内・客室サービス」の項目があり、「1951 (昭和26年) 10.25 国内線で機内食の提供を開始(紙箱入りサンドイッチ)。」という内容があります。
・『限りなく大空へ:全日空の30年 資料編』(全日空30年史編集委員会/編集 全日本空輸 1983)
全日本空輸の社史です。p.144-146 「客室業務の変遷」表が掲載されています。
表中の「ユニフォーム・機内サービス」の項にはサービスの開始・廃止などが掲載されています。昭和29年の欄に、「キャンディのセルフサービス」、昭和30年の欄に「食事時間帯の便には、サンドイッチ、いなり寿司を提供」、「茶菓-ういろう、チューレット 飲物-紅茶、日本茶」と記載されています。
『聞蔵2ビジュアル』
*「朝日新聞」データベース
・1931年4月2日東京/朝刊 7頁1段「初サービスに声も晴々と エア・ガールの旅客機に清水まで試乗の記」
朝日新聞に掲載された東京航空輸送社のサービスに関する記事です。
本文に「ガール達はバスケットを開いてビスケット、サンドウィッチなどをお客にすすめて紅茶を入れる。」と機内食に関する記述があります。
・『航空輸送の歩み:昭和二十年迄』(大日本航空社史刊行会/編 日本航空協会 1975)
大日本航空の社史です。昭和二十年までの航空会社の歴史を辿る「社史編」と初期の航空輸送等を体験した飛行士や整備士による体験記である「史話編」から成る資料です。
史話編「東京支所を中心に思い出を語る」(p.403-410)の中には、以下の記述があります。
執筆者は日本航空輸送株式会社の整備士です。
「昭和10年秋頃だったと思う。上り便が到着しても、郵便物の取捌きに三十分以上もかかり、また、郵便行嚢は旅客と一緒に東京営業所まで運ぶため(中略)旅客からの苦情がたびたびあったので、待時間調整の苦策として「おしぼり」と紅茶を旅客にサービスしたら大分旅客の苦情もおさまり、大阪、福岡でも実施するようになった。運行時間帯によっては機内食を用意しなければならぬようになり、特別のランチボックスを調製し、サンドウィッチ、果物その他チューインガムなどをつめていた。大阪、福岡でもその土地特有の材料を使用したが、大体大阪・福岡とも寿司類であった。」(p408)
史話編「大空の娘たち回想座談会の記」(p.537-542)の中には、以下の記述があります。
執筆者は大日本航空株式会社で昭和13年から16年までの4年間エアー・ガールとして勤務していた女子乗務事務員10名です。
「機内では、はじめに耳綿とカルミンを配った。(中略)この耳綿とカルミンは、一生に一度の思い出に飛行機に乗った人にとっては、話題になるお土産のようであった。機内で配る食事やお菓子にはいっさい手をつけないで、紙コップまで記念に持って帰る人もいた。」(p.539上段)
[事例作成日:2021年10月24日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 航空運輸 (687 10版)
- 参考資料
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- JALグループ50年の航跡 日本航空広報部∥編纂 日本航空 2002.2
- 限りなく大空へ 資料編 全日空30年史編集委員会∥編集 全日本空輸 1983 (144-146)
- 航空輸送の歩み 大日本航空社史刊行会編 日本航空協会 1975 (403-410,537-542)
- キーワード
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- 機内食(キナイショク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000308063