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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000038919
提供館
(Library)
倉敷市立中央図書館 (2310168)管理番号
(Control number)
M04070114211932
事例作成日
(Creation date)
1990/09/25登録日時
(Registration date)
2007年11月07日 02時11分更新日時
(Last update)
2019年09月11日 00時30分
質問
(Question)
山陽鉄道ができたのはいつ頃か。また倉敷駅ができた時期も知りたい。
回答
(Answer)
・倉敷駅ができたのは明治24年(1891)4月 ―「伸び行く倉敷」倉敷市教員組 1952年刊 本年末、戸数一六八八戸、人口七〇六四人であった。(一八九〇)三月、郵便局が郵便電信局と改まった。電信が開始された。六月、町制が施行され、倉敷村は倉敷町となった。四月、山陽鉄道が倉敷まで敷設され、倉敷駅が開設された。七月、倉敷銀行が設立された。一一月、高等精思小学校々舎が栄町通りに新築された。(一八九一)(明治二四) ・山陽鉄道について さんようてつどう 山陽鉄道 国鉄山陽本線の前身にあたる私有鉄道会社。1886年(明治19)兵庫県の石田寛之助、小西新左衛門や灘の酒造業者が神戸―姫路間の鉄道建設を計画し、児島湾干拓の藤田伝三郎ら16人で願書を出したが、政府は政治・軍事上の幹線として下関までの延長を指令して許可した。1888年(明治21)三菱の岩崎久弥ら三菱系と大阪資本からなる山陽鉄道(株)が発足。同年兵庫―姫路間53■が開通したが、以後は工事が遅れ、1890年(明治23)船坂トンネルまで、翌年3月三石―岡山間、同9月岡山―福山間、同11月福山―尾道間、1894年(明治27)6月広島まで開通し、2軸横扉の客車と荷物車の混成7両列車が1日15本、昼間だけの単線運行を行った。岡山県内ルートでは西大寺、玉島の港町などで鉄道通過反対運動があり、やむなくこれらの市街地をはずした北よりのルートに鉄道を敷設、結果的に西大寺や玉島は時代の波から取り残されていった。広島まで開通の直後に日清戦争があり、山陽鉄道は重要な役割を果たした。1894年に全国最初の急行列車(神戸―広島間8時間56分)を走らせ、炭水車つきテンダー機関車を導入して列車編成および走行距離を大きくし、1895?1897年(明治28?30)には広島―大阪、広島―京都の直通列車も運転して官営鉄道の東海道本線にくい込んだ。1898年(明治31)には車内電灯をつけ、1899年に食堂車増結など官営鉄道にさきがけるサービスをした。これは阪神―岡山―高松間の航路および官営鉄道に対抗する競争であった。1901年(明治34)に下関までの全線が開通、1905年の営業キロ数は565■、輸送旅客数は年間1246万人、貨物は年間149万■となった。日清戦争後の不況ので私鉄の経営難が生じたとき、山陽鉄道は讃岐鉄道など2社を合併し、さらに四国連絡航路を設け、宇野線建設計画も立てたが、1906年(明治39)「鉄道国有法」が制定され、国に買収されて国営鉄道となった。→山陽本線→新幹線 /由比浜省吾 山陽鉄道開通時の岡山駅構内の図『岡山県新地理書』より
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
鉄道運輸  (686 9版)
参考資料
(Reference materials)
伸び行く倉敷
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2004070114203911932
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢, 高校生, 中学生
登録番号
(Registration number)
1000038919解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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