レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼熊-2015-158 | ||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2014年12月17日 | 登録日時 (Registration date) | 2016年01月27日 17時10分 | 更新日時 (Last update) | 2016年05月19日 14時50分 | ||||
質問 (Question) | 江戸末期から明治にかけての、葛和田(旧妻沼町)・妻沼付近の船や河岸問屋の数が分かる資料、その船や河岸問屋を何という家が持っていたかが分かる資料が見たい。 | ||||||||
回答 (Answer) | 『新編埼玉県史 資料編 15 近世6』(埼玉県 1984) p734「高嶋河岸」「中瀬河岸」「葛和田河岸」「出来嶋河岸」「小嶋河岸」「妻沼河岸」の問屋名あり。 p757「葛和田河岸」の問屋名あり。 二一三 文政十三年十月 葛和田河岸川船改ニ付請書願書控 「年貢高・持舟(船種)・持主」及び「船問屋」の一覧あり。 『妻沼町誌』(妻沼町誌編纂委員会編 妻沼町 1977)と『利根川の水運 歴史の道調査報告書 10』(埼玉県教育委員会 1989) 上記からの引用と思われる記述あり。 『関東水陸交通史の研究 叢書・歴史学研究』(丹治健蔵著 法政大学出版局 2007) 「表7 明治5年 上利根川運賃駄目協定問屋一覧」に葛和田河岸(江 森三八郎)の商人・問屋名あり。 なお、妻沼河岸の反対側、古戸河岸については、『太田市史 通史編 近世』(太田市 1992)に河岸問屋名の記述があり。 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 妻沼町史、熊谷市史、埼玉県史を確認 『新編埼玉県史 通史編 4 近世』(埼玉県 1989) p459 「2-52 利根川・荒川筋の河岸場」葛和田河岸・妻沼河岸の名称あり。 『新編埼玉県史 資料編 15 近世6』(回答資料) 『妻沼町誌』(妻沼町誌編纂委員会編 妻沼町 1977) 「葛和田渡船場」の文政13年(1830年)の問屋数・船数の記述あり。 p162「葛和田渡船場と舟問屋」の項 「文政13年(1830~この年天保と改元)川船改め役所に提出した文書によれば、船問屋は三右衛門六右衛紋・喜兵衛の三軒であったが、後者の二軒は休株となり、三右衛門が二軒の株を引き受けて運上金を上納していた。当時葛和田には、高瀬舟16艘、[チョウ]船(砂利などを取る小舟)8艘、舫船4艘、川下小船4艘(村持)、出水用心船13艘(村持8・個人持5)、歩行渡船1艘(村持)、馬渡船3疋立(村持)以上のような船があった。」 p164「新田往還と妻沼渡船場」の項(文化6年[1809年]妻沼村名主新左衛門の書付に)「渡船三艘」「小早船弐艘」とあり。 『利根川の水運 歴史の道調査報告書 10』(埼玉県教育委員会 1989) p23-24 「一二 葛和田河岸」に『妻沼町誌』と同様の記述あり。 「大正元年の妻沼町葛和田河岸の家並図」もあり。 『新編武蔵風土記稿 [第3期] 11 大日本地誌大系 17』(雄山閣 1977) p209「妻沼村」に、「戸古渡之図」あり。 p214「葛和田村」に、「問屋株を三軒に定め」とあり。 2 利根川の舟運・水運について調査する。 『近世日本水運史の研究』(川名登著 雄山閣出版 1984) p170の元禄期河岸表に「女沼河岸」「古戸河岸」あり。 女沼(妻沼)河岸の河岸問屋について、記述見当たらず。 『上州利根川の水運』(群馬県立歴史博物館 1992) 口絵3「利根川筋絵図」に古戸河岸、古海河岸が見られる。 p16「川絵図」あり。 p84「安永4(1775)年上利根筋十四河岸問屋仲間加入問屋一覧」あり。深谷、本庄、上里の問屋名あり。 p85「表2 埼玉県管内明治初年創立船積問屋一覧表」 利根川は、12の村の問屋氏名と創立年月が記載されている。 3 《Google ブックス》を〈利根川 & 舟渡し & 妻沼〉〈熊谷 & 河岸問屋〉〈利根川 & 河岸問屋〉で検索する。( https://books.google.co.jp/ Google) 『太田市史 通史編 近世』(太田市 1992) p413 古戸河岸の「河岸問屋は、同村[古戸村]の原口権兵衛が代々襲名で営業していた。」 p415「二月晦日、高林河岸からの出発を目前に控えた和四郎[上州新田郡牛沢村の名主神谷和四郎]に出帆祝いの酒肴が、河岸問屋の須田亦八から届けられた。」(出典:未 御廻米出帆日記帳) 『日本史学習のための新版・埼玉県資料集』(聚海書林 1985) p113表「上利根川十四河岸組合船問屋数」掲載あり。ただし、「倉賀野河岸~高島河岸」の範囲。山王堂(本庄)-高島(深谷)を含む。 『河岸に生きる人びと 利根川水運の社会史』(川名登著 平凡社 1982) 千葉県を中心とした利根川の水運史。「葛和田」に関する情報はなし。 p107に上利根川十四河岸組合の議定証文、および野尻河岸組合の証文からの引用で、河岸と問屋の数の記述有り。 4 自館目録を〈河岸 & 問屋〉で検索する。 『関東水陸交通史の研究 叢書・歴史学研究』(丹治健蔵著 法政大学出版局 2007) p85「表2 埼玉県管内明治初年創立船積問屋一覧表」 利根川は、12の村の問屋氏名と創立年月が記載されている。 p97「武州中瀬河岸の概況」(中瀬河岸は、現在の深谷市) 中瀬河岸の河岸問屋、船数の記載あり。 p110「第三節 高崎線開通前後の舟運動向 1 上州組仲間の取り決め規則」に明治5年(1872)4月、奥州組惣仲間のうち、上州組仲間の10名は利根川周辺の上武涼秋の問屋商人あるいは在郷商人66名との間に舟積み荷物の運賃・駄目に関する詳細な取り決めを結んだとあり。 p117「表7 明治5年 上利根川運賃駄目協定問屋一覧」に葛和田河岸(江森三八郎)・妻沼河岸(三沢市衛)の商人・問屋名あり。商人なのか河岸問屋なのかは不明。 ウェブサイトの最終アクセス日は2014年12月17日。 | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | |||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 言葉 地名 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000187605 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |