以下の資料をご紹介します。
・『栃木県鉄道史話』(大町雅美/著 落合書店 1981)
p.1-19「第一章 蒸気車の伝来と鉄道の創設」が参考となります。
本文中「二 明治初期の交通」に「馬車会社の設立」(p.6-9)の項があり、「明治五年末には宇都宮・東京間は従来三日前後を要したものが十二時間に短縮され」「千住より出車した時は昼食を栗橋で(略)丁度利根川が中間的立場であったことがうかがわれる。宇都宮宿は伝馬町の手塚屋前が発着場所で東京・宇都宮間の料金は一円九六銭の史料がみられる。」とあります。
また「人力車の活躍」(p.9-12)の項があり、「人力車会社は「英運社」で明治十六年二月二十三日に設立が認可され(略)賃銭は東京・宇都宮間一円九六銭」「栃木県宇都宮伝馬町に一新社と称する人力会社を設けし者ありて(略)東京より宇都宮迄一日の中に達し(略)馬車に比すれば却って賃銭も少しは安く(後略)」とあります。
・『栃木県史 通史編7』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1982)
p.570-574「第四章 明治期の金融と交通・通信 第四節 水運と道路交通」が参考となります。
馬車及び人力車の普及についての記述があります。表「4-49 栃木県内の諸車の推移」が掲載されており、明治6年から昭和11年にかけての栃木県内における荷車・馬車(乗用/荷積)・人力車・自転車・自動車の諸車数の推移がまとめられています。
本文中に「栃木県内の乗用馬車数は、明治(略)十五年には一三〇輛を越えた」、「栃木県内の人力車数は、明治十五年に三〇〇〇輛を上回った(略)東京・宇都宮間の賃銭は、一円九六銭で乗合馬車よりやや安かった。※注」とあります。
また、同章内「第七節 通信制度の開始 運輸馬車会社」(p.631-632)には、「本県に最も早く出現した馬車会社は、明治五年の東京・宇都宮間運輸馬車会社であった」「馬車は乗用馬車と荷馬車の別があり(略)東京・宇都宮間の乗合馬車賃銭については、「開化重宝記」(明治十三年刊)(略)によると、一人付一円九六銭であった。※注 この場合の所要時間は約一五時間となっている」とあります。(※注:本文の記述のまま引用しました。)
・『宇都宮市史 第7巻 近・現代編1』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1980)
p.573-583「第六章 交通・通信の整備 第三節 馬車会社の開設」内、「一 乗合馬車の営業と宇都宮」の項(p.573-577)に上記資料と同様の記述があり、「第94表 乗合馬車賃線・荷物運送賃表 東京ヨリ宇都宮間乗合馬車賃銭表」(p.579)が掲載されています。
p.584-611「第四節 東北本線開通の経緯と宇都宮」内、「東北本線開通」(p.584-588)の項があり、東北本線についての記述があります。「明治十八年七月十六日から営業開始をみた(略)営業開始直前の六月二十三日に決定された「乗車賃金」には、上野―宇都宮間上等三円五〇銭、中等二円一〇銭、下等一円五銭(略)運行は、上野―宇都宮間に午前・午後各一往復を運転し、約四時間一〇~二〇分を要した。」とあります。
この他、以下の資料はお調べしましたが、関連の記述を確認できませんでした。
・『栃木縣史 第2巻(交通編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)