レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年9月28日
- 登録日時
- 2020/09/28 15:30
- 更新日時
- 2020/11/18 11:38
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中ー郷土ー136
- 質問
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解決
京都にあった西納家(西納屋)市場について知りたい。
- 回答
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西納家(西納屋)魚市場は,京都市下京区黒門通四条~仏光寺間にあった塩干魚を扱う魚市場です。
天正年間(1573~1591)の創業と言われ,慶長年間(1596~1614)までは上京区猪熊下立売にあったので,“猪熊市場”とも呼ばれていました。【資料1・2・4・6】
西納家という名前の起源には諸説あります。近世の京都の鮮魚市場は三店(さんたな)と呼ばれる,上の店,錦の店,六条(魚の棚)があり,上の店の西方にあるため「西魚屋(にしなや)」と呼ばれたとも,上の店の箱や籠などを入れた物置納屋が「お上(かみ)の店の西のお納家」と呼ばれ,ここで塩干魚を商うようになったからともいわれています。【資料1・2・3・4】
店数が減少した頃,岩倉具視が公卿の時に台所魚の御用を任ぜられ復活した,時代は不明だが右大臣から帝の御用商人として任ぜられていた,といった逸話も残されています。【資料2・4】
江戸期には独占的地位が確立されていましたが,明治維新の株仲間解散によって自由競争が激化,京都の市場が混迷し,明治32年(1899)に西納家海陸物産問屋組合を組織しました。【資料1・2・4・6】
その頃から鉄道による輸送が確立され,北海道の塩干魚取引は西日本一を誇るようになりました。【資料4】
昭和2年(1927)12月,日本で初めての公営による中央卸売市場として,京都市中央卸売市場が下京区朱雀分木町に開場しました。それに伴い鮮魚三店とともに西納家魚市場は廃止となり,京都塩干魚株式会社として,京都市中央卸売市場内での営業となりました。【資料1・5】
- 回答プロセス
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●“西納家,西納屋”で京都市図書館所蔵資料を検索するも,該当資料なし。
●“京都+市場”で京都市図書館所蔵の郷土資料を検索・・・【資料1・2・3】
●“西納家,西納屋”で『京都叢書』を確認するも,詳しい記述は見当たらない。
●“西納家,魚市場,卸売市場”などで国立国会図書館を検索するも,既出資料のみ。
●“塩干魚+京都市”でJーSTAGEを検索。
「中央卸売市場開設をめぐる魚問屋と漁業資本-京都市中央卸売市場成立史から-」
田村安興/著 『農産物市場研究 1982年 15巻』p40~51
この論文の参考文献〝卸売市場制度五十年史”で,京都府内の公共図書館を検索・・・【資料4・5】
●【資料4】の参考文献“市場の沿革”で京都府立図書館を検索。“京都市・府社会調査報告書1―7”で京都市図書館を検索・・・【資料6】
- 事前調査事項
- NDC
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- マーケティング (675 9版)
- 商業史.事情 (672 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都市中央卸売市場三十年史』(京都市 1957)p40~41“西納家魚市場” p245~254“第三章中央卸売市場の開場と魚合戦”
- 【資料2】『京都魚市場の沿革』(奈島藤助 1926)P61~71“西納家魚市場”写真掲載あり
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【資料3】『京都市中央卸売市場誌 中篇』(京報社 1927)p137~146“西納屋市場” p16“0西納家海陸物産問屋組合”
国立国会デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170896) -
【資料4】『卸売市場制度五十年史 第1巻』(卸売市場制度五十年史編さん委員会/編 食品需給研究センター 1979)京都府立図書館所蔵資料
p97~102“魚市場の形成1京都” p201~203“明治期における生鮮食料品卸売市場3京都” p344~349“大正期における都市の卸売市場4京都市の卸売市場” -
【資料5】『卸売市場制度五十年史 第2巻』(卸売市場制度五十年史編さん委員会/編 食品需給研究センター 1979)京都府立図書館所蔵資料
p255~266“京都塩干魚株式会社” - 【資料6】『京都市・府社会調査報告書 明治36年~昭和19年 1-7』(近現代資料刊行会 2001)p43“塩干魚市場”
- キーワード
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- 西納家魚市場
- 西納屋魚市場
- 京都市中央卸売市場
- 魚市場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287525