レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/11/02
- 登録日時
- 2013/03/22 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:33
- 管理番号
- M09040216376445
- 質問
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ソテツが日本の庭園樹木として植えられるようになったのはいつ頃か知りたい。
- 回答
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資料①には、「今少し蘇鉄について記してみると、この植栽を庭園に入れたのは室町時代であり、そのエキゾチックな姿を非常に珍重したのである。すなわち、応永の頃に山口の大内盛見が京都の邸に大きい池泉庭園を作り、この庭園に始めて蘇鉄が植えられたとしているが、大内氏は貿易を盛んに行い、かの雪舟禅師なども大内氏の貿易に便乗して中国へ渡つたほどであるから、蘇鉄が貿易船によつて渡来し大内氏の手に入つた事は当然想像できるところである。この珍しい蘇鉄が時代を経て桃山時代になると各庭園の植栽として重要視されたのは当然で、当代の庭園では、(中略)諸庭園に用いられたのである。」との記述がある。
資料②には、足利義政の室町殿で1460年に植栽された植物の一覧に蘇木(ソテツ)が挙げられており、「ビャクシン・マツ・ヒノキ・カヤ?などの針葉樹がやはり多いが、ザクロ・ヒイラギ・ソテツというようなこれまで見られなかった植物も出現している。」との記述がる。また、「武家邸宅の庭園の例としては、『蔭涼軒日録』の長享二年(一四八八)九月十六日の条に大内邸について、興文首座話して云う。大内の庭にそてつと云う草あり。高麗より来たる。かぶより葉出でて、一間にはばかるほどなり。ぜんまいの大なるような者なり。とある。大内氏は山陽・山陰の西部一帯を支配していた守護大名だったから、交易を通して南方産のソテツを入手したのだろう。ソテツは先に述べたように、すでに室町前期に義政の室町殿に植えられているが、人びとが珍しがっているのは広まっていなかったためだろう。広まるまでソテツはさまざまな経路で入って来たのではないだろうか。」との記述もある。
資料③には、桃山時代の醍醐寺三宝院庭園について「随所に使われている蘇鉄は、桃山時代から江戸時代にかけて流行し、異国情緒を漂わせ二条城二之丸庭園や本願寺大書院庭園などにも見られる。」との記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 9版)
- 参考資料
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資料① 重森完途『日本の庭園芸術』理工図書,1957.3,図160p+80p. 参照はp.6.
資料② 飛田範夫『日本庭園の植栽史』京都大学学術出版会,2002.12,435p. 参照はp.163-165,p.183-184.
資料③ 西桂『日本の庭園文化』学芸出版社,2005.10,190,26p. 参照はp.108.
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資料① 重森完途『日本の庭園芸術』理工図書,1957.3,図160p+80p. 参照はp.6.
- キーワード
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- 庭園
- ソテツ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2009040216365876445
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000129268