レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年05月27日
- 登録日時
- 2021/01/28 15:26
- 更新日時
- 2021/02/16 11:41
- 管理番号
- 相-200004
- 質問
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解決
江戸時代の粕取焼酎(酒粕焼酎)のことが記載されている文献資料を知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介しました。
・『新・食品事典12 酒』河野友美編 真珠書院 1992
p.92~93「粕取焼酎」が立項されており「元禄時代(一六八八~一七〇四)にはすでに庶民の酒としてつくられており(中略)江戸時代中期以降、酒として飲用される以外に、医薬用にされ、武士の常備薬であった」と記述されています。また当時の資料として『大和本草』(一七○九)や『本朝食艦』(一六九七)が紹介されています。
・『日本の伝統食品事典』日本伝統食品研究会編 朝倉書店 2007
「第5章 酒類」にp.233~235「5.4.7酒かす焼酎」が項目立てされており「北九州の清酒どころ福岡県を中心に、17世紀ころから造られていた。(中略)祭り行事の祝い酒として、また蒸留かすは貴重な肥料として、農民にとって重要な役割を果たし(中略)別名「早苗饗(さなぶり)焼酎」と呼ばれ」ていたと記述されています。製法や特徴についても記述があります。
・『日本の酒の歴史』加藤弁三郎編 協和醗酵工業 1976
加藤百一「日本の酒造りの歩み」にp.293~315「付 本格焼酎造りの歴史」があり、p.293「表付・1 本邦における焼酎製造の起源」に「粕取り焼酎」について「産地 諸国」「渡来年代 17世紀?」「出所文献 『本朝食艦』『和漢三才図会』」とあります。p.304「表付・2 江戸前・中期における焼酎もろみの型体」には「もろみ 新酒の粕」「出所文献 『本朝食艦』『和漢三才図会』」「通称 粕取り焼酎」とあり、p.305「元禄年間(一六八八~一七〇四)以前には、すでにもろみ取りと粕取りとの区別がはっきりしていたはずである(中略)粕取り焼酎は(中略)十七世紀後期、この酒造りが盛んな畿内を中心に発展していった」と記述されています。
・『焼酎手帖』重田稔著 蝸牛社 1978
「Ⅶ 乙類焼酎銘醸地めぐり」のp.167~169「博多 “さなぶり焼酎”発祥のさと」に「博多が粕取り焼酎、いわゆる“さなぶり焼酎”の発祥の地であることは衆目の認めるところ」であり「この粕取り焼酎のつくり方を教えたのが、江戸時代の三大農学者の一人、宮崎安貞である」と記述されています。
・『万金産業袋(生活の古典双書5)』三宅也来著 八坂書房 1973
「巻之六 酒之部」p.157に「焼酎の取やうは(以下略)」として、製法についての記述があります。
・『和漢酒文献類聚』石橋四郎編 酉文社 1936
幕末に至るまでの国書と、清朝(徳川期)時代までの漢籍における酒に関する文献が紹介されています。「第二章 酒の種類」「一、和酒」にp.113~119「焼酎=泡盛」があり、書名と主文が記載されています。頭注に「糟」の記載があるものから、焼酎について糟(粕)に関する記述のある文献を探すこともできます。
・『薩摩における焼酎造り五百年の歩み』蟹江松雄・岡嵜信一著 蟹江松雄 1986
「第二章 薩摩を取り巻く地域の古の焼酎造り」p.44に「藩政時代壱岐を領有していた平戸藩の出した法令の中に焼酎のことが書かれているが、この焼酎は麦焼酎でなく、粕取焼酎であろうと壱岐の郷土史家目良は述べている」、p.46に「わが国で天平二年(七三〇)以降、清酒(スミザケ)、酒糟の文字が出てくる酒の長い歴史を考えると、蒸溜の手法を手にした一五〇〇年代もしくはそれ以前から粕取焼酎が造られていたと考えても、それほど矛盾はないように思える」などの記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「本草食鑑」「和漢三才図会」「童蒙酒造記」については確認済みとのこと
- NDC
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- 食品.料理 (596)
- 衣食住の習俗 (383)
- 参考資料
- キーワード
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- 粕取焼酎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293081