レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/07/01
- 登録日時
- 2006/10/27 02:10
- 更新日時
- 2006/10/27 02:10
- 管理番号
- 川図-06-0021
- 質問
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解決
「東京瓦斯電気工業㈱」の火薬部が昭和10年頃、独立し、東京火薬となり、その東京火薬を昭和12年に「日窒」に譲渡したと、貴館の蔵書の内山 直 著「瓦斯電を語る」 昭和13年発行のP285に記載されていた。
この「日窒」は、正式名称はなんというのか、また、現存しているのなら、現社名はなんというのか知りたい。
- 回答
-
結論としては「日窒」の現在の社名は「旭化成」の分社「旭化成ケミカルズ(株)」です。
「旭化成八十年史」S579.1/A/1 2002年
p134 37年に日本窒素肥料が東京瓦斯電気工業(現日野自動車)から株式を譲受し子会社としていた東京火薬工業(工業雷管・電気雷管製造)を40年10月に合併した。このときに取得した工場が東京工場と基山工場である。
P153 実質的に東京火薬は日窒火薬の火工品部門同然となった。
そうしたなかで37年11月、日本窒素肥料は東京火薬の株式の大部分を買い取った。
次いで、40年10月配給割当制度の実施や応召者が相次ぐなかで、両社を一元的に管理して経営を合理化する目的で、
日本窒素火薬が東京火薬を吸収合併し、東京工場と改称した。
なお、終戦後の1947年、GHQの要請により東京工場は閉鎖のやむなきに至ったが、その広い敷地には
やがて旭化成の技術研究所が建設されることとなった。
「旭化成火薬30年史」S579.1/A 1964年 <目次がなく、個別の文章にページ付けしてある>
p28 日本窒素火薬株式会社は昭和5年12月4日資本金100万円をもって設立された。
p30 昭和18年4月5日 両社(旭ベンベルク絹糸株式会社と日本窒素火薬株式会社)は合併して
社名を日窒化学工業株式会社と改め、<以下略>
p32 昭和21年4月1日、社名を旭化成工業株式会社と改称した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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この火薬部は東京府豊島郡志村大字中台の新設工場で操業していたそうです。小生の記憶ですと、かなり前にこの地の現在番地付近で大きな化学工場(看板に日産化学とあったようでした)を見ております。 したがって、現社名は日産化学工業㈱ではないかと考えられますが。(貴館に日産化学の社史が蔵書されていると同社より聞いております。 また、この日産化学なる会社は可成りの数の会社との吸収合併をしているとも同社が申しておりましたが)
- NDC
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- その他の化学工業 (579)
- 参考資料
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- 540.9/T「瓦斯電を語る」 内山 直 1937
- S579.1/A/1 「旭化成八十年史」 2002
- S579.8/A「旭化成火薬30年史」1964
- S570.6/N「八十年史」日産化学工業 1969
- キーワード
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- 東京火薬工業
- 旭化成
- 社史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 日産化学工業の「八十年史」も念のため見てみましたが、関連は見出せませんでした。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000031217