レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月29日
- 登録日時
- 2022/12/13 18:25
- 更新日時
- 2022/12/23 14:59
- 管理番号
- tr819
- 質問
-
株式会社日清商会について。1945年に工場を疎開させたらしいが、どうして疎開先が栃木県内であったか知りたい。
- 回答
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疎開先が栃木県であった理由が明示された資料は確認できませんでした。調査の中で、日清商会と栃木県について記述が見つかった資料は次のとおりです。
■インターネット上から確認できた資料
「下野新聞データベース plus 日経テレコン」
・日本経済新聞 1987(昭和62)年7月16日 32面 「日清製油会長坂口幸雄(16)再建への一歩 ― 横浜工場まかさせる(私の履歴書)」
記事の中に戦時中の県内工場について簡易な記述があります。
「国立国会図書館デジタルコレクション」
・『人的事業大系. 化学工業篇下』(中外産業調査会/編 中外産業調査会 昭和15-18)
※利用登録をした図書館・個人に公開されている資料です。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1244523 (2022.12.23確認)
p.325-331(コマ番号206-209) 「日清製油株式会社」の項があります。記載された関係者の内、取締役吉澤丈作氏が栃木県の生まれとあります。
・『東商. (118)』(東京商工会議所 1957)
※利用登録をした図書館・個人に公開されている資料です。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2234661 (2022.12.23確認)
p.33-34(コマ番号19-20) 「工場見学記 日清製油株式会社横浜工場」の「一、沿革と概況」項に「…(略)…この間僅かに那須の疎開工場で操業を続ける有様であった。…(略)…」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
株式会社日清商会公式ホームページ(https://nisshin-sk.com/)の「会社情報」>「会社沿革」に、「1945年5月 日清製油株式会社横浜工場が戦災を被り、栃木県那須郡黒田原に工場を疎開。官庁その他の連絡事務処理機関として日清製油株式会社宇都宮連絡所が発足」とあることを確認した。
- NDC
-
- 油脂類 (576)
- 参考資料
- キーワード
-
- 日清製油株式会社
- 疎開
- 那須
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000325653