レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年05月21日
- 登録日時
- 2009/06/21 12:39
- 更新日時
- 2022/09/03 15:19
- 管理番号
- 福井県図-20090521
- 質問
-
未解決
明治初期に旧大野藩士・木下ジュンスケらが新潟県の草倉銅山に坑夫として行った経緯などが書かれた資料はないか。
- 回答
-
不明
【2022/9/3 情報提供いただきました。ありがとうございます。】
下記の公開論文および文献サイトに木下潤輔に関する情報がありました。
近代の鉱業における労働市場と雇用 : 足尾銅山及び尾去沢鉱山の「友子」史料を用いて
土井 徹平 社会経済史学 76 (1), 3-20, 2010
https://doi.org/10.20624/sehs.76.1_3
p.16
「1880年、停滞していた開発状況を打開するため、草倉鉱山での開発に功績を挙げた木下潤輔が本山坑に招かれた。」
二村一夫 著作集
http://nimura-laborhistory.jp/index.html
著者自己紹介
http://nimura-laborhistory.jp/aboutauthor.html
二村一夫『足尾暴動の史的分析』
補論(1) 飯場頭の出自と労働者募集圏
http://nimura-laborhistory.jp/ashio-horon1.html
「君〔木村長兵衛〕は本番採鉱革正の為め,草倉より木下潤輔を迎へた。潤輔は輩下の越前坑夫の一党を率ゐて入山した。氏は旧大野藩の士,草倉山大切開鑿の為め市兵衛翁に招じられ大に功のあつた練達の人であつた。その輩下の越前坑夫はいずれも新興草倉の坑内で鎚を揮つた面々であるので,此の一党を迎へた足尾の坑内は俄かに生気横溢たるものがあつた」
[足尾暴動の史的分析 : 鉱山労働者の社会史 二村一夫著 東京大学出版会, 1988 ISBN:4130200844]
- 回答プロセス
-
1.福井県立図書館HPの福井県関係調査相談データベースで「きのしたじゅんすけ」で検索するがなし。
2.大野藩関係資料を見る。
『奥越史料第8号』所収『越前大野藩旧士族明細研究』(坂田玉子/著)p45
「木下潤助」(文政10(1827)年3月15日生)が掲載されているが、略歴等は記載なし。
3.県内の鉱山に関する資料を見る。
・『面谷鉱山誌』・・・関連記述なし
・『日本銅鉱業史の研究』・・・関連記述なし
・『和泉村史』・・・近世の面谷鉱山(p378~)、明治期の面谷鉱山(p453~)には記述なし。
・『福井県史 通史編』4,5 ・・・他県に行ったことに関する記述なし。
4.『新潟県史 通史編』の内容を確認。
通史編近代1 p479~481に草倉銅山の記述があるが、大野藩士の氏名は掲載なし。なお、このもととなった資料は古河鉱工業『創業100年史』である が、当館では未所蔵のため確認できなかった。
5.郷土資料の人物誌をみる。
『大野郡人物誌』・・・殖産興業の項に記述なし
- 事前調査事項
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『新潟県史』ほか新潟県の郷土資料に載っているとのこと。
- NDC
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- 採鉱.選鉱 (561 8版)
- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
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- 『面谷鉱山誌』 尾崎竜夫/著 1969 H560/O/1
- 『和泉村史』 和泉村 1997 H235/I/1
- 『奥越史料』大野市教育委員会 1970~ H236/O5 (研究雑誌)
- キーワード
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- 鉱山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000055885