レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年05月13日
- 登録日時
- 2021/02/26 10:17
- 更新日時
- 2021/03/04 11:00
- 管理番号
- 福参-1152
- 質問
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解決
明治30年代の中頃、アメリカの誰かから、当時の皇太子(後の大正天皇)に贈呈された車が皇居の濠に落ちたのが日本で最初の交通事故とされるが、この交通事故について知りたい。車の大きさ及び何人乗車していたかも知りたい。
また、日本最初に交通死亡事故が起きたのは、明治38年に大阪、堺市と記憶しているが正しいか。
- 回答
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①日本で最初の交通事故について
◆参考資料1『舶来事物起原事典』 p.153-154 「自動車」の項に以下の記述あり。
「このような自動車が日本に渡ってきたのは、明治33年のことである。(中略)同年2月11日の紀元節(現在の建国記念日)を期して、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)と九条節子姫とのご婚約が発表され、5月10日にご成婚の式があげられることが決定された。この慶事に対して、アメリカのサンフランシスコ在留日本人会が、陸奥広吉領事と協議して、お祝品を献上することになった。その結果、当時アメリカで発達途上にあった自動車を献上することになり、邦価3万円という多額の拠金を集め、特別注文による自動車1台を日本に発送した。(中略)最初の試運転のときに、誤って紀の国坂あたりの濠に落ちてしまった。(中略)試運転の際、濠に転落した場所については、紀の国坂のほかに三宅坂という説もあるように、この皇太子殿下への献納車のエピソードには疑問も多く、一種の伝説とされている。献納年月日も不明であり、裏づけの資料がまったくない。」
◆参考資料3『ギネスブック自動車』 P172 「交通事故第1号」に以下の記述あり。
「日本最初の電気4輪車(大正天皇御成婚記念として献上されたもの)の試験中のこと。(中略)東京の紀の国坂で試験中ブーレキ(表記のとおり)がきかなくなったので、急ハンドルを切ったために弁慶橋のたもとの濠へとび込んだ。(後略)」
◇参考URL1 「我が国で最初に走った電気自動車」
(http://www.ei.u-tokai.ac.jp/morimoto/docs/%E6%88%91%E3%81%8C%E5%9B%BD%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A1.pdf 2020.12.1最終確認) p.3-6 「4.わが国で初めて走った電気自動車」の項に以下の記述あり。
「1900年(明治33年)2月11日は皇太子(後の大正天皇)のご成婚の日である。これを記念して電気自動車がサンフランシスコの日本人会から献上された。(中略)この車は、1900年8月3日にサンフランシスコを出帆したという。米国、ウッズ社製の4輪車である。(中略)車種はWoods Motor Vehicle Company 社のVictoria であると考えられる。(中略)1900年型Victoria号の諸元は明らかではないが、1904年型の仕様を(中略)示す。まだモデルチェンジというようなことは行われていないと思うので、名称が同一であれば同仕様だと考えていいと思われる。(中略)
Table2 Specifications of Victoria made by Woods Co.
形状:Carriage-styled model.(馬車スタイル)
客席:2席 (運転席は別)
価格:$1900(1904モデルの価格)
電動機:後席の下部に2台据え付け
モーター出力(1台分):2.5hp(1.9kw)(当時はやはり馬力表示)
変速:4段に切り換可能
車両重量:2700lb(1225kg)
バッテリ:40セル
最高速度:18mph(29km/h)
このとき車を運転したのは欧米留学から戻ったばかりの高田商会電気部長の廣田精一といわれている。」
「宮内省にてはその試運転を命じたれば、これが運転を試みたり。しかるにブレーキの使用法不十分なれば、麹町区三宅坂を走るときこれを見ていたりし一老婆、馬なき馬車が通るとて感心して見つめ車が近づけども避けようとせず、却って自動車のほうにてこれを避けんとせり。その時ブレーキ意の如くならず終にお濠に陥りたり」といわれている。」
「(前略)紀の国坂で試験をしていたが、ブレーキが効かず、正面の交番に衝突しそうになったので急にハンドルを左に切ったためお濠に転落してしまった。」
◇参考URL2 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史[第1](明治編)』
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 228コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開 2020.12.1最終確認)
「(七)自動車取締規則の制定」p.363に以下の記述あり。
「宮内省では、さつそく試運転をした。そして三宅坂を下りかけた時、一人の老婆が、馬のいない馬車が通ると感心して、道の真中に立つてながめていて、避けようともしないので、あわてた運転手は、急いで停めようとしたが、ブレーキの使い方もよく知らない。ハンドルを左に切つて避けようとしたとたんに、誤つてお濠の中に顚落してしまつた。」
② 日本で最初の交通死亡事故について
◆参考資料2 『日本自動車史』p.274 に以下の記述あり。
「1905年(明治38)(10月)26日大阪自働車会社の自動車、堺市神明町大道りで龍小芳(5歳)を轢いて死亡させる。(わが国最初の自動車による死亡事故)」
◇参考URL2 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史[第1](明治編)』
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 229コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開 2020.12.1最終確認)
「(七)自動車取締規則の制定」p.364に以下の記述あり。
「警視庁交通年鑑を見ると、明治四十年の東京府の自動車は十六台と記載されている。
このなかに、大倉喜七郎の競争用と乗用各一台が入つているが、この競争用は日本自動車会社の車庫に入れておいたところ、夜間職工四名がこれを持ち出してのり回しているうち、東海道の平塚辺で電柱に衝突して、四人共即死してしまつたと伝えられる。これが記録に残るものではもつとも古い自動車による死亡事故のようである。」
- 回答プロセス
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① 交通事故について
・キーワード「日本初」「交通事故」でインターネット検索
参考資料1・3、参考URL1が見つかる。
◆参考資料1『舶来事物起原事典』P153-154「自動車」
◆参考資料3『ギネスブック自動車』 P172「交通事故第1号」
◇参考URL1『我が国で最初に走った電気自動車』 P3-4「わが国で初めて走った電気自動車」
・「自動車」「交通」関連の書架をブラウジング
参考資料4・5が見つかる。
皇太子への自動車の献上についての記述があるが、交通事故については記述なし。
◆参考資料4『日本自動車史年表』P7
◆参考資料5『日本交通史事典』P31
・当館契約データベース「聞蔵Ⅱ」「ヨミダス歴史館」で新聞記事検索
該当の記事は見つからず。
② 交通死亡事故について
自館事例検索に同様の質問あり。(質問番号[0000004323]日本最初の自動車による交通死亡事故は、大倉財閥の2代目大倉喜七郎の車によるものなのか。)
回答より、参考資料2、参考URL2を確認。
◆参考資料2『日本自動車史』 P274
P270に、①についても記載あり。
事故については記述がないが、献納された自動車が「ウッヅ」のものと思われることがわかる。
◇参考URL2 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史[第1](明治編)』
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 229コマ 2020.12.1最終確認)
228コマに、①についても記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 自動車工学 (537 10版)
- 参考資料
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- 舶来事物起原事典 富田 仁 /著 名著普及会 1987.12 031/4R/15 p.153-154
- 日本自動車史 佐々木 烈/著 三樹書房 2009.7 537/09/253 p.270,p.274
- ギネスブック 自動車 アンソニー・ハーディング/編 講談社 1977 788/6/S22 p.172
- 日本自動車史年表 GP企画センター/編 グランプリ出版 2006.9 537/R/128 p.7
- 日本交通史事典 日外アソシエーツ編集部/編 日外アソシエーツ 2010.3 682/1R/113 p.31
- 我が国で最初に走った電気自動車 http://www.ei.u-tokai.ac.jp/morimoto/docs/%E6%88%91%E3%81%8C%E5%9B%BD%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A1.pdf p.3-6 (2020.12.1最終確認)
- 国立国会図書館デジタルコレクション『警視庁史[第1](明治編)』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3035536 228-229コマ (2020.12.1最終確認)
- キーワード
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- 交通事故
- 自動車
- 嘉仁親王
- 大正天皇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000294178