レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/28
- 登録日時
- 2019/12/26 00:30
- 更新日時
- 2019/12/26 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0036
- 質問
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解決
彦根城が明治期に破損を免れた理由について書かれた資料を教えてほしい。
彦根市史は調査済みです。
(調査済み資料)
『彦根市史 下冊 』 彦根市[編集] 彦根市役所 1964年
『新修彦根市史 第8巻』 彦根市史編集委員会編集 彦根市 2003年
- 回答
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彦根市史以外では、回答資料(1)『明治天皇紀』(第四)の「明治十一年十月」の項には、「十四日(中略)曩日参議大隈重信の彦根に到るや、旧彦根城に登臨し、陸軍省が城内建築物を毀碎するを目撃して之れを惜み、還りて具奏する所あり、是の日、宮内卿を以て、該城郭を保存することを右大臣に伝へしめたまふ、是に於て其の管理を故の如く陸軍省に命じ、滋賀県をして之れが保存を講ぜしむることと為す」とあります。
同じく回答資料(2)『明治天皇紀』(第五)の「明治十三年六月」の項には、「十四日(中略)明治十一年北陸東海両道巡幸に際し、特旨を以て、滋賀県彦根城を保存すべき旨を同県に命ぜられたり、是の日其の修繕費として、御手許金千六百余円を滋賀県に賜ふ」とあります。
また、下記回答資料(3)『彦根城』には、上述の福田寺鑈子との関わりも含め、次のように説明されています。
「明治十一年十月十一日、北陸巡幸を終えた明治天皇は京都へ向かう途中、中山道高宮宿の円照寺(エンショウジ)に宿泊した。随行した参議大隈重信は、翌日、県令の申請により福満村平田(彦根市平田町)に設立された県営製糸場や座繰伝習所を視察し、そこから彦根城に立ち寄った。解体寸前にあった彦根城を見た大隈重信は、その消失を惜しみ、明治天皇に城郭の保存を奏上した。これに同意した天皇は、宮内卿徳大寺実則を通じて内大臣岩倉具視に伝え、城郭の保存を命じたのである(『明治天皇記(※原文ママ――引用者註)』)。/明治十一年十月十五日、宮内卿の名で出された滋賀県令籠手田安定あての内達書には「今般思召有之、旧彦根城郭保存可致旨被仰出候、就而は何分之儀追而其筋より其県へ御達可有是之候へ共、此旨及内達候也」と記されていた。/また一説には、彦根を訪れる前日、北陸街道に面した長沢福田寺住持摂専の後妻となった二条鑈子が奏上したともいう。福田寺は江戸時代後期に井伊家の諸子が住持となり、摂専も井伊家の血を引いていた。井伊直弼とは歌友であり、互いに心相通じた親友でもあった。明治天皇の従妹にあたる鑈子が福田寺や夫摂専と彦根との縁から彦根城の保存を願ったというのである」。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 参考資料
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- 1 明治天皇紀 第四 巻69?91 宮内庁∥編集 吉川弘文館 1970年 2-2884-4 p.526
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2 明治天皇紀 第五 巻92?112 宮内庁∥編集 吉川弘文館 1971年 2-2884-5 p.82(明治天皇巡幸時における特旨) -
3 彦根城 学研 1995年 S-5251- 95 p.133 -
4 県令籠手田安定 鉅鹿敏子∥編 鉅鹿敏子 1976年 S-3100- 76 -
5 日本城郭史話 森山英一∥著 新人物往来社 1999年 3-5218-モ pp.210-211
- キーワード
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- 彦根城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000271595