レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20191219
- 登録日時
- 2019/12/20 00:30
- 更新日時
- 2020/03/24 14:06
- 管理番号
- 福郷-100
- 質問
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解決
大正時代に建てられた「福岡市記念館」について知りたい。外観の写真を見たい。
- 回答
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『福岡近代絵巻』巻末の「福岡市関係年表」によると、大正6年5月25日、薬院堀端に開館した市立通俗博物館に隣接する建物で、同年に開館している。p.59に掲載されている「福岡日日新聞社からの眺望」と題した写真に、記念館の屋根の部分が写っている。解説文から、博物館とともに大正6年5月に御大典記念事業(大正天皇の即位記念事業)で開館し、記念館は戦後、進駐軍がタロー劇場と使用したことがわかる。p.87の空撮写真にも記念館は写っている。
『ふるさと100年』p.71に、市立通俗博物館と並んだ外観写真が掲載されている。その解説文から、共進会跡地に建築されたルネッサンス様式の建物であることがわかる。
『福岡市史 第2巻大正編』第7編第1章文教施設、p.969-976に「市立通俗博物館及び記念館」として記載があり、「記念館は講演会、音楽会、活動写真等を始め、広く一般公衆の各種の集会場に充てられ、県公会堂と共に本市必須の集会場の一つになった」という記述がある。貸与規則も掲載されている。写真の掲載はない。
昭和2年刊行の『福岡市案内』p.116-117に「市立通俗博物館及記念館」の項目で掲載されているが、市史の文章と同内容。写真は博物館のみ。
進駐軍の接収のことは、『福岡市史 第8巻』掲載の年表に、昭和20年11月1日の出来事として、記載されている。接収の解除については、p.537に、昭和27年6月15日に返還されると福岡市に予告のあった施設の一覧があり、「記念館五十二坪(薬院堀端一一の四番地)」と記載されている。
その後、記念館と通俗博物館の建物は、中央公民館に転用されたことが、『福岡市史 第7巻』p.838-848の中央公民館の記述でわかる。
『博多郷土史事典』p.237-238掲載、福岡市記念館の項目には、昭和54年に老朽化のため取り壊され、跡地に中央警察署が建ったという記述がある。
『目で見る福岡市の100年』p.59に、「福岡市記念会館」として、昭和4年の集会の写真が掲載されている。
[追記] 2020/03/24
参考資料として『大正の博多記 第1部』(参考資料9)を追加した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 参考資料
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- 1 福岡近代絵巻 福岡近代絵巻展実行委員会/編集 福岡市博物館 2009.9 K226//フ p.59、87、197
- 2 ふるさと100年 福岡市 1989.6 K226//フ p.71
- 3 福岡市史 第2巻 福岡市/編 福岡市 1963 K226//Sフ p.969-976
- 4 福岡市案内 東亜勧業博覧会協賛会 1927 K296/260/Sフ p.116-117
- 5 福岡市史 第8巻 福岡市/編 福岡市 1978.3 K226//フ p.524、537、729
- 6 福岡市史 第7巻 福岡市/編 福岡市 1974.5 K226//フ p.838-848
- 7 博多郷土史事典 井上 精三/著 葦書房 1987.11 K226/2/ハ p.237-238
- 8 目で見る福岡市の100年 石瀧 豊美/監修 郷土出版社 2001.11 K209//メ p.59
- 9 大正の博多記 第1部 波多江 五兵衛/文 博多を語る会 1974.12 K226/2/タ p.110-115
- キーワード
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- 福岡市記念館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000270992