中野通りの桜並木は、戦後、区画整理事業の中で植えられたのが始まりで、中野駅から新青梅街道まで続く都内でも有数の桜並木です。当時、都は街路樹として銀杏か楓を推奨していましたが、整理事業を推進した窪寺伝吉氏は、将来の美しい桜並木を想定し、苦労の末、都と地権者の同意を取り付け桜としました。
昭和62(1987)年からは、4月の桜の季節に「中野通り桜まつり」が行われています。
【資料1】『あらい地域ニュース』
〇昭和62(1987)年4月1日 No.78
1面「余滴」桜並木
“桜の並木は、早稲田通りと中野通りの交差点付近から薬師公園、哲学堂を経て新青梅公園に至る道筋に、224本の『ソメイヨシノ』が咲き誇り、まさに町の名所といえましょう”
〇平成元(1989)年3月25日 No.102
1面「桜ミニ知識」
“植えられたのは昭和31年。その当時、哲学堂・新青梅公園にはすでに植えられていて、桜並木を中野駅の方まで延長させようという考えだったようです”
〇平成3(1991)年4月10日 No.127
1面「中野区長期計画・実施計画に対する地域からの提案まとまる」
桜並木の提案が出されています。
〇平成8(1996)年4月10日 No.187
1面 第二次中野区長期計画への新井地域への提案の中に「さくらをテーマとした、散策路づくりの推進」が挙げられています。地図上に“中野通りの桜は有名ですが、ここは「トウカエデ」が植えてあります。ここも「桜」にすればきれいなのに!”との記載があります。
〇平成8(1996)年12月1日 No.195
1面「『第二次中野区長期計画』 新井地域からの再提案」
「さくら」をテーマとした、散策路造りの推進を挙げ、中野通り未植樹地域と新井天神通りへの植樹について真剣な検討を求めています。
〇平成13(2001)年3月号 No.242
1面「第15回中野通り桜まつりを迎えて」
“長年の懸案であった横畠外科医院脇の信号の所から、新井五差路に至る21本のトウカエデを桜に植樹替えをし、さらに中野駅北口ロータリーに8本桜が植樹され、昨年より新井五差路の「街かど庭園」の西側歩道と植樹も完成されました。”
〇平成18(2006)年3月号 No.272
1面「中野通り桜まつり実行委員長あいさつ」
“昨年三月に、中野駅北口から新青梅街道まで二.五キロメートル、桜並木がつながりました。”
〇平成21(2009)年3月号 No.290
1面「桜まつりの歴史」
“中野通りの桜は、戦後の道路拡張事業、区画整理事業などとあわせて、中野のまちづくりへの思いを込めて植えられたものです。”
〇平成27(2015)年3月号 No.325
1面「地域の由緒を訪ね 新井を知る No.2」
“当時都推奨は銀杏か楓だった。整理事業を推進した窪寺伝吉氏は、将来の美しい桜並木を想定し、苦労の末、都と地権者の同意を取り付け桜とした。”
【資料2】『東京都市計画の遺産』越澤明/著,筑摩書房,2014(518.8/コ)
p.120 「第三章“山の手”復興物語」
p.121 “窪寺伝吉は出身地である新井薬師一帯の戦災復興土地区画整理事業を、自ら組合長に就任、推進して、見事やり遂げた。その結果、中野区の骨格道路である中野通りは中野駅から新井薬師を経由して新青梅街道まで、都市計画決定の幅員二〇メートルで開通した。(中略)窪寺伝吉の意志で中野通りの街路樹は桜とした。この桜が成長し、今日、中野通り桜まつりが開催されている。”