以下資料から、関連の記述を確認しました。
1 永禄年間(1558-1570)の洪水について
・『近代足利市史 第1巻(通史編 原始~近代2)』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1977)
p.305-308「第二編 中世 第四章 長尾氏の治世 第三節 渡良瀬川の変流」の項に、『足利興廃記』からの引用により洪水による変流の伝承について記述されています。また、鑁阿寺文書による洪水記事についても記されています。
引用元である『足利興廃記』は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。(参加館送信)
(参考)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240152・『足利市史 上巻』(足利市/編、発行 1928)
p.185-221「第六章 山川 第二節 河川」の項で、近古以前からの渡良瀬川について記述されています。
永禄年間の洪水についての引用文献は上記の資料と同じ『足利興廃記』です。「…(前略)…山邊村足利紡織會社の工場建築工事中、同地より發掘せる多數の墓石が、皆東北に向つて倒れ、且つ其等の中に「永禄」の年號の記されたるものあり…(後略)…」とあります。(p.199)
・『関東平野の中世 政治と環境』(簗瀬大輔/著 高志書院 2015)
「第一部 国境河川地域の政治と文化 第二章 新田領の形成と渡良瀬川―横瀬氏の権力基盤―」の項に、渡良瀬川の変流について、澤口宏氏による二説と柳田貞夫氏による説が掲載されています。(p.67 ※説の出典元はp.74)
また、中世における洪水は、「第一部 国境河川地域の政治と文化 第三章 戦国期渡良瀬川の洪水と水運―横瀬・長尾領国の環境― 三 中世渡良瀬川の洪水」の項に記述されています。(p.85-92)
・『田中正造と利根・渡良瀬の流れ それぞれの東流・東遷史』(布川了/著 随想舎 2004)
田中正造の実地踏査報告などをもとに書かれた資料です。
p.78-81「第三章 中世の利根・渡良瀬改修工事 4 長尾氏の渡良瀬川改修」
p.98-102「第四章 近世初期の利根・渡良瀬改修工事 1 文禄年間の利根河道整備事業(3)渡良瀬川改流工事(榊原康政)」
・『日本歴史地理之研究』(吉田東伍/著 富山房 1975)
p.209-229「渡良瀬川の變遷」の項に、永禄年中に限らず、古代からの変遷について記述されています。
このほか、『近代足利市史 第1巻(通史編 原始~近代2)』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1977)の記述より、以下資料を調査したところ、渡良瀬川が北上した経路上にあった山辺町の資料にも関連する記述が確認できました。
・『野州 山辺町史』(宇賀神利夫/著 新日本政治経済研究会 1953)【館内】
p.8「地質及土性」の項に、「往年渡良瀬川の大洪水で中川、偕宿、八幡、掘込地區に出る砂利砂は数百年前のもので…(後略)…」とあります。また、p.36「史蹟名勝 白倉淵 八幡」の項に、永禄年間の洪水により相当の深さを持つ淵ができたことが記されています。
2.1595(文禄4)年の治水事業について
・『館林市誌 歴史篇』(館林市誌編集委員会/編 館林市役所 1969)
p.133-134「第三部 近世・近代・現代 第三章 江戸時代(前期)館林城主と治績 第一節 榊原氏 2 康政の事業」の項に、文禄四年の治水事業について記述があります。
また、p.306「第三部 近世・近代・現代 第七章 農業 第四節 新田開発 1 榊原時代」の項に、堤防の詳細やその後の近隣地域の開発について述べられています。
・『新編物語藩史 第三巻』(新人物往来社/編、発行 1976)
「館林藩 一 戦国から江戸へ 榊原時代」の項に、康政の治水事業について記述されています。(p.190)
・『河道変遷と地域社会 利根川東遷を中心に』(東洋大学地域活性化研究所プロジェクト「利根川・渡良瀬川流域研究-河道変遷と地域社会」/編 東洋大学地域活性化研究所 2009)
p.188-190「第8章 渡良瀬川近代改修 8.1 近代初頭の渡良瀬川の概況」の項に、渡良瀬川の歴史的な河道整備として康政による事業が紹介されています。
こちらの引用元は『群馬県邑楽郡誌』(群馬県邑楽郡教育会/編、発行 1917)です。