レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月06日
- 登録日時
- 2022/04/27 18:51
- 更新日時
- 2022/04/27 18:51
- 管理番号
- 福郷-166
- 質問
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解決
洗玉橋を架けた橋本勘五郎について知りたい。
- 回答
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参考資料1『石工たちの魂 八女の石橋』p.3-4
「橋本勘五郎が育てた八女の石工集団」中、「通潤橋をてがけ、全国的にも有名な石工棟梁、橋本勘五郎。明治二十六年、勘五郎が八女の地を訪れ、地元石工たちを指導しました。肥後の種山石工集団からも技術を学び、長野石工、辺春(へばる)石工といわれる石工集団ができました。」「橋本勘五郎とは 肥後の種山出身の石工。明治政府に招かれ江戸橋、京橋もかけた名工。」「通潤橋で実現させた独自工法を、八女の洗玉橋(一連)にも取り入れている。勘五郎晩年の卓越した技術が残る貴重な石橋なのだ。」とある。
参考資料2『福岡県文化百選 5』p.182-183
「88星野川の石橋(眼鏡橋)群 八女郡上陽町」中、「元来、八女地方には石橋(眼鏡橋)が多く、大小六十橋が確認されている。(略)地元長野(八女市)では、良質の阿蘇凝灰岩(通称長野石)を産出し、それを材料に八女石灯籠などの石工技術が発達して「長野石工」を輩出した。」「上陽町内の橋も、当初は木橋だったが、急流と洪水のため流失、損傷がひどく、明治から昭和初期にかけ石橋に架け替えられた。中でも有名なのが、星野川の、上流から下流に向かって、洗玉橋(略)」「洗玉橋は長さ三十メートル、径間二十メートルで、明治二十六年(一八九二)石工棟梁橋本勘五郎・萩本卯作。」「洗玉橋の石工棟梁は、名工の誇れ高い橋本勘五郎(一八二一-一八九七)。彼の祖父、藤林林七は肥後八代(熊本県)の人で長崎奉行を務め、長崎で、オランダ人と交際して「円周率を用いる計算法」によってアーチ橋(眼鏡橋)の架橋技術を学んだ。その技術は“一族秘伝”として勘五郎へ伝えられた。」とある。
参考資料3『図説南筑後の歴史』p.202-203
「石造眼鏡橋と種山石工 聞こえくる棟梁たちの槌の音」に洗玉橋の架設工事を橋本勘五郎に依頼する「洗玉眼鏡橋工事依頼人決定に関する書状」の掲載や、洗玉橋は通潤橋などに見られる城の石垣技法を取り入れた柄(つか)石垣を備える重厚なもので、昭和36年にすぐ上流に新橋が架けられた後も貴重な土木遺産として保存されている、との記述がある。
参考資料4『北部九州における石橋に関する研究』p.65-66
「福岡県内の現存する石橋一覧」があり、石工橋本勘五郎の橋に「立石橋(八女郡立花町)」「黒岩橋(同)」「洗玉橋(八女郡上陽町)」がある。
- 回答プロセス
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自館検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 橋梁工学 (515 8版)
- 参考資料
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石工たちの魂 八女の石橋. 八女市役所観光振興課, 2010. (観る知る学ぶ八女は楽しい)(自館資料コード1107799472)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062148270-00 -
西日本新聞社 編集 , 西日本新聞社. 福岡県文化百選 5. 福岡県県民生活局生活文化課, 1992.(自館資料コード1102588304)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I054314877-00 -
大城美知信 監修 , 大城, 美知信, 1934-. 図説南筑後の歴史. 郷土出版社, 2006. (福岡県の歴史シリーズ)(自館資料コード1106184250)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008124940-00 , ISBN 4876638225 -
長弘雄次 [著] , 長弘, 雄次. 北部九州における石橋に関する研究. [長弘雄次], 1995.(自館資料コード1103700431)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053948401-00
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石工たちの魂 八女の石橋. 八女市役所観光振興課, 2010. (観る知る学ぶ八女は楽しい)(自館資料コード1107799472)
- キーワード
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- 橋本勘五郎
- 洗玉橋
- 種山石工
- 長野石工
- 眼鏡橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315535