(1)次の資料あり。
・多肥郷土史 上(K2310 T10 1-1)
※p.518-529付近の記述が参考になると思われる。
・太田南「おもしろ出水探検隊」実施結果報告 太田南公民館/〔編〕 太田南公民館 2003.6(K2931 O4)
・太田南の民話 太田南校区地域おこし事業民話集編集委員会 太田南校区地域おこし事業推進委員会 1995.3 (K3883/O1)
※p.6-7「鹿の井出水(しかのいですい)」あり。
(2)ネットに次の情報あり。
・鹿の井出水(しかのいですい) (香川県農政水産部土地改良課)
http://www.pref.kagawa.jp/tochikai/midori/monogatari/pdf/4.pdf(次のような情報あり)
*
保安三年(1122 年)、讃岐の国は大ひでりに見舞われ、飲み水にも事欠くようになりました。人々は何度も雨乞いをしましたが、一滴の雨も降らずに困り果てていました。
そんなある日、居石おりいし神社に白髪、白髭の見慣れない老人が現れ、不思議そうにながめる村人たちの前で、突然一匹の鹿に姿を変えて走り出したので、村人たちが驚いてその後を追ったところ、鹿は桃の木のそばで立ち止まって前足で土を掘り、どこへともなく走り去りました。
鹿が土を掘ったところから、こんこんと清水が湧いてきたので、村人たちは大喜びで喉を潤したという話が伝わっています。
この湧き水は「鹿の泉」と呼ばれ、飲料、かんがい水として大切にされてきましたが、近年、高速道路が建設されたり、都市区画整理により急速に都市化が進行する中で荒廃が進んできました。そこで、街中に残っている古き良き施設を後世に伝えるために、平成 10 年度に魅力ある農村(むら)づくり事業で「鹿の井出水」として 176m 区間を石積み護岸に改修し、合わせて遊歩道、休憩所などが整備されました。
鹿の井出水は高松市太田下町の熊野神社の北側にあり、街中のオアシスとして地域の人々に利用されるとともに、いまでも太田、伏石、下多肥の水田の補助水源として活用されています。
*
なお、上記の情報は次のHPにあり。
・水土里(みどり)情報 さぬきの水物語(香川県農政水産部土地改良課)
http://www.pref.kagawa.jp/tochikai/midori/monogatari/ 「香川県内には数多くのため池や出水(ですい)があります。 ため池や出水のいわれや伝説、水文化の変遷などについてご紹介します。」
(3)また、
WebOPACで
書名:湧水OR出水
絞込:郷土資料
で検索すると、次の資料がヒットする。
・香川大学教育学部研究報告 第1部 第62号 香川大学教育学部/編 香川大学教育学部 1984.9
・香川大学教育学部研究報告 第1部 第66号 香川大学教育学部/編 香川大学教育学部 1986.1
・香川大学教育学部研究報告 第2部 第20巻 第20号[ 香川県内河川の水質検査 6・7 香川大学教育学部/編 香川大学教育学部 1970.9
・香川県農業試験場研究報告 第54号 香川県農業試験場/[編] 香川県農業試験場 2001.3
・讃岐の水と暮らしを語る No.1 新見治/著 新見治 1994.7
・讃岐の水と暮らしを語る No.2 新見治/著 新見治 1995.1
・出水の里 岩部撓/著 岩部撓 1978.11
・ [高松市教育文化研究所]研究論文集録 第5集(昭和61年度 高松市教育文化研究所/編 高松市教育文化研究所 1986.1
・地理学研究 第38号 香川大学教育学部地理学教室/編 香川大学教育学部地理学教室 1989.3
・豊中町の池と出水 豊中町ため池調査編集委員会/編 豊中町水利組合 1999.3
・日本民俗誌大系 第10巻 未刊資料 1 池田弥三郎/〔等〕編 角川書店 1976.7
・ふるさと長尾 第15号 文化財研究紀要 長尾町文化財保護協会/編 長尾町文化財保護協会 1992.4
・ふるさと長尾 第17号 文化財研究紀要 長尾町文化財保護協会/編 長尾町文化財保護協会 1994.4
・ふるさと長尾 第20号 文化財研究紀要 長尾町文化財保護協会/編 長尾町文化財保護協会 1997.4
・ふるさと長尾 第22号 文化財研究紀要 長尾町文化財保護協会/編 長尾町文化財保護協会 1999.4
・未知 301号特版抜粋 出水および神社位相とリクシタイフユコライン 渋谷美智子/著 アトリエ未知 2000.2
(4)高松市図書館レファレンス事例に次のものあり。
「高松市太田地区「上免出水」の名前の由来について(2007年12月02日)」
以下、回答文を引用。
「①中世以来,田や畑には一定の税率が定まっており,一定額の税のことを免といった。 免とは税である。免場名というのは,田租を賦課する必要から村内の土地柄に大まかな差をつけて区分した名前で,これを免場といった。どこの村でも,上所免・中所免・下所免というのがあり,土地柄のよしあしから,課税上三等級に地域を区分していた。 上所免(五割の税、免五ツ) 中所免(免三ツ九分) 下所免(免二ツ八分)というふうに分かれていて,その免(税)率が高いところほど土地柄がよいとされていた。 (一宮村史 「免と年貢」64頁 T2310/イチより) (多肥郷土史 「集落」572頁 T2310/タヒより)
②上免出水の付近は,旧太田村時代に上免という字名であった。 (太田農協史 「太田地区(旧太田村)略図」巻頭 T6115/オオより) (讃岐香川郡志「太田村」1193頁 T2320/アオより)
③上免出水の受益地は太田,伏石で高五百十七石四斗であり,周辺の他の出水より石高が多い。 (さぬき一宮郷土史「井堰と出水」266頁 T2310/イチより)
これらのことから上免出水の名前の由来は,上免という字名の場所にあり,また,石高が多いことから上所免の出水ということで上免出水といわれるようになったのではないかと推測できるのではないでしょうか。」
(調べ学習)