レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/4/15
- 登録日時
- 2016/03/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:37
- 管理番号
- M15072212577262
- 質問
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倉敷海軍航空隊に関する資料はないか。
- 回答
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・『新修倉敷市史6』(資料①)では、「倉敷海軍航空隊は、昭和十九年(一九四四)十一月一日乙種飛行予科練習生の養成を実施するため、児島郡福田村松江(現、倉敷市)に開隊し、予科練教育を開始した」とあり、その教育内容の概要が説明されている。
・野田和歩「倉敷海軍航空隊」(資料②)では、「航空隊施設の概要」のほか、その開隊から解隊までの様子をまとめている。
・高橋彪「倉敷海軍航空隊 震洋特攻隊・警備班と農耕班」(資料③)では、元小富士海軍航空隊十五分隊会々員の思い出の記録が引用されるとともに、昭和20年7月に倉敷海軍航空隊に転属となった又吉全永氏の懐古談が掲載されている。
・矢沢昭郎「思い出の倉敷海軍航空隊」(資料④)、「わたしは「倉敷航空隊」の予科練だった」(資料⑭)では、筆者の体験に基づく当時の航空隊の手記が掲載されている。
・野田和心「講演要旨 倉敷海軍航空隊について」(資料⑤)では、倉敷海軍航空隊の推移が年表によりまとめられている。
・鈴木昭二「倉敷航空隊日誌」(資料⑥~⑧)では、松山海軍航空隊から倉敷海軍航空隊へ転勤入隊された筆者による当時の日誌の一部が掲載され、資料⑨~⑪には、元予科練生による航空隊に関する証言が掲載されている。
・『予科練松山空24期回想録』(資料⑫)には、倉敷航空隊に入隊することになった「松山空第24期生」の回想録が集められている。
・白水清陽「倉敷海軍航空隊の回想 海龍特攻隊要員」(資料⑬)では、宇和島航空隊から倉敷航空隊に転属後、「水中特別攻撃艇海龍隊要員」となった著者の回想が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 海軍 (397 9版)
- 参考資料
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①倉敷市史研究会『新修倉敷市史6 近代 下』岡山 山陽新聞社,2004,866p. 参照はp.849-850.
②野田和歩「倉敷海軍航空隊」『倉子城』第21号,1997年12月,p.44-64.
③高橋彪「倉敷海軍航空隊 震洋特攻隊・警備班と農耕班」『倉子城』第21号,1997年12月,p.16-36.
④矢沢昭郎「思い出の倉敷海軍航空隊」『高梁川』70,2012年12月,p.54-65.
⑤野田和心「講演要旨 倉敷海軍航空隊について」『福田史談会会報』149,1997年6月,p.37-40.
⑥鈴木昭二「倉敷航空隊日誌〔その一〕」『福田史談会会報』146,1996年12月,p.110-113.
⑦鈴木昭二「倉敷航空隊日誌〔その二〕」『福田史談会会報』147,1996年12月,p.140-144.
⑧鈴木昭二「倉敷航空隊日誌〔その三〕」『福田史談会会報』148,1996年12月,p.8-20.
⑨池津圭佐「倉敷海軍航空隊の元予科練生」『福田史談会会報』154,1998年6月,p.7-12.
⑩高橋彪「倉敷海軍航空隊の元予科練生の証言」『福田史談会会報』154,1998年6月,p.13-28.
⑪高橋彪「倉敷海軍航空隊跡地探訪」『福田史談会会報』156,1998年12月,p.46-73.
⑫松山空第24期回想録編集委員会『予科練松山空24期回想録』 かたりべ舎,1993,375p.
⑬白水清陽「倉敷海軍航空隊の回想 海龍特攻隊要員」『倉子城』23,1999年12月,p.15-28.
⑭矢沢昭郎「わたしは「倉敷航空隊」の予科練だった」『高梁川』56,1998年12月,p.180-199.
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①倉敷市史研究会『新修倉敷市史6 近代 下』岡山 山陽新聞社,2004,866p. 参照はp.849-850.
- キーワード
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- 倉敷海軍航空隊
- 倉敷航空隊
- 福田村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2015072212582177262
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000189885