レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年08月11日
- 登録日時
- 2010/08/11 11:59
- 更新日時
- 2019/06/27 09:39
- 管理番号
- 11747
- 質問
-
解決
太平洋戦争当時の日山、由良山とその周辺の状況について記述のある資料はあるか。
- 回答
-
太平洋戦争当時の日山、由良山とその周辺の状況について記述がある所蔵資料には、
次のようなものがある。
・『高松空襲戦災誌』(高松空襲戦災誌編集室/編 高松市役所 1983年)
〔当館請求記号:K3904 T1 3〕〔配架場所:郷土資料〕
太平洋戦争と高松市の章に次の記述がある。
飛行機の秘匿 由良山北麓に飛行機の秘匿場所があった。(66頁)
高射機関砲隊 高射機関砲隊が日山、由良山などに配置されていた。(71~72頁)
高松市の戦災の章に次の記述がある。
相続く空襲 昭和20年7月24日 高松飛行場にグラマン戦闘機24機が来襲、機銃掃射により
由良山で滑走路用の栗(くり)石採集中の9人が死亡。(293~294頁)
飛行場の空襲 昭和20年7月22日 由良山北側に爆弾2個が落ちた。
昭和20年7月24日 飛行場北部の兵舎と由良山付近が狙われた。
(520~521頁)
・『川島郷土誌』(川島郷土誌編集委員会/編 川島校区地域おこし事業推進委員会 1995年)
〔当館請求記号:K2310 K3〕〔配架場所:郷土資料〕
第二十五章由良山 第二節由良石 3第二次大戦下の由良山(573頁)に、昭和19年林飛行場が
設置されると同時に、山麓から山腹にかけて塹壕、掩体、誘導路が次々と造られ由良山全体が要塞と
化したと記している。
また、第二十九章戦争と殉難者 第三節日中戦争から太平洋戦争へ 7林の飛行場と言われた
高松飛行場(654~662頁)には、滑走路建設に由良山の石が使われたことや対空射撃部隊が、
由良山、日山などに高射砲陣地を築いていたこと、昭和20年7月24日の高松飛行場空襲犠牲者の
慰霊碑が由良山山腹にあることなどの記述がある。
・『香川県医師会誌 40巻4号(1988年4月)』(香川県医師会)〔請求記号なし〕
〔配架場所:書庫〕
林ノ飛行場外史抄(水原良昌/著)(23~28頁)は、幼年期を川島町で過ごし飛行場建設にも
動員された水原氏の「林ノ飛行場」に関する回想録です。昭和20年7月24日の高松飛行場空襲
の際、由良山の樹林に逃げ込む勤労奉仕の人が狙い撃ちされたことなど、飛行場建設に関する
さまざまな事柄を記している。一部は『川島郷土誌』にも引用されている。
・『林村史』(林村史編集委員会/編 高松市役所林支所 1958年)〔当館請求記号:K2310 H2〕
〔配架場所:郷土資料〕
後篇 第三章行政 第三節高松飛行場 第一項軍用林飛行場(120~132頁)では、日山、由良山
についての具体的記述はないが、林村の軍用飛行場建設への対応を詳細に記している。
・『朝鮮人の強制連行と徴用-香川県・三菱直島製練所と軍事施設』(浄土卓也/著 社会評論社 1992年)
〔当館請求記号:K3661 J1〕〔配架場所:郷土資料〕
Ⅲ香川県における朝鮮人強制連行の記録 二、林飛行場建設に伴う朝鮮人強制連行(178~201頁)には、
飛行場建設に従事した朝鮮人の宿舎が由良山西側や仏生山の競馬場跡にあったこと、香川郡三谷村通谷
(現在の高松市三谷町)の小山の裾では、飛行機燃料貯蔵用トンネルを掘る作業を朝鮮人が行なったこと
などを記している。
- 回答プロセス
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巻末に事項索引があることから『高松空襲戦災誌』をまず調査し、記述箇所を得た。
また、近隣の高松飛行場にかかわりの深い地域の歴史書『川島郷土誌』、『林村史』などを調査し、記述箇所を得た。
また、『川島郷土誌』、「林ノ飛行場外史抄」(『香川県医師会誌 40巻4号(1988年4月)』所収)については、、『川島郷土誌』に引用されていて、存在がわかった。
また、『朝鮮人の強制連行と徴用』については、
- 事前調査事項
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「昭和20年空襲前米軍撮影空中写真 41 3PR5M246 1V 5-28 F-153 1 35000 高松市林町付近-昭和20年5月28日撮影」(日本地図センター 2007年発行)[当館請求記号:K2910 S37 1-2]
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 太平洋戦争
- 日山
- 由良山
- 高松飛行場
- 林飛行
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 夏休み定番事例
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000070013