レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年07月30日
- 登録日時
- 2020/07/28 12:55
- 更新日時
- 2020/07/28 12:55
- 管理番号
- 9000029332
- 質問
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解決
八代町(現山梨県笛吹市)出身の人物について調べている。中支派遣部隊「極」第2900部隊(宝田部隊)所属で、1944(昭和19)年召集、中国の「醴陵」で戦死した。部隊のことがわかる資料があるか。『八代町誌』の戦没者名簿は確認した。
- 回答
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『日本陸海軍総合事典』第2版の「8 陸海軍主要部隊便覧」に「中支那派遣軍」の編成年月等が掲載されており、「極(きわめ)」の通称を持つのは第27師団である。「宝田部隊」がここに所属していたかは不明。
また、『アジア・太平洋戦争辞典』によれば、1939(昭和14)年に大本営直属の中支那派遣軍・北支那方面軍を統一して支那派遣軍が設置(本部:南京)され、同時に中支那派遣軍総司令部が廃止、支那派遣軍は1944(昭和19)年の大陸打通作戦等を行ったという。
ちなみに現在の中国の醴陵(れいりょう)市は湘江流域(長江の南側)となっている。
『山梨のアジア太平洋戦争』に、支那派遣軍第27師団の動き、戦没者数について書かれている。
詳しくは参考資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.レファレンス協同データベースで検索。師団について事例があったので、挙げられている参考資料を見る。
『日本陸海軍総合事典』第2版(東京大学出版会、2005)に、中支那派遣軍は1938(昭和13)年に編成、1939(昭和14)年に廃止され、同時期に支那派遣軍が編成されている。第27師団の通称が「極(きわめ)」。
2.中国の地名を探す。『最新中国地名事典』(日外アソシエーツ、1994)に「醴陵(れいりょう)市」があり、湖南省の東部、湘江の流域にあると書かれている。Wikipediaで確認すると、湘江流域は長江の南側。
3.太平洋戦争の事典類から「支那派遣部隊」を探す。『アジア・太平洋戦争辞典』(吉川弘文館、2015)に「支那派遣軍」で項目あり。
4.インターネットで「宝田部隊」等をキーワードに検索するが該当なし。
5.山梨県の戦争関係資料の棚を見る。宝田部隊については不明。
6.地域資料を検索。中支派遣隊の人物の資料『わが津田部隊第七中隊のあしあと』(榎原唯雄/著、榎原雅己/刊、2015)があったが、1940(昭和15)年までの記録だった。キーワードを「八代」「戦争」等にして全文検索したが該当する資料は見つからなかった。
7.山梨県の近現代史の資料を見る。『山梨のアジア太平洋戦争』(佐藤 弘/著、山梨ふるさと文庫、2005)に支那派遣部隊第27師団の記述がある。
- 事前調査事項
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『八代町誌』
- NDC
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- 戦争.戦略.戦術 (391 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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秦郁彦 編 , 秦, 郁彦, 1932-. 日本陸海軍総合事典 第2版. 東京大学出版会, 2005.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007913368-00 , ISBN 4130301357 (pp.530,533) -
吉田裕, 森武麿, 伊香俊哉, 高岡裕之 編 , 吉田, 裕, 1954- , 森, 武麿, 1945- , 伊香, 俊哉, 1960-. アジア・太平洋戦争辞典. 吉川弘文館, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026804660-00 , ISBN 9784642014731 (p.275) -
佐藤弘 著 , 佐藤, 弘, 1951-. 山梨のアジア太平洋戦争. 山梨ふるさと文庫, 2005.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007877568-00 (pp.31-35) -
張, 治国. 最新中国地名事典. 日外アソシエーツ, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002328481-00 , ISBN 4816912312 (p.522)
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秦郁彦 編 , 秦, 郁彦, 1932-. 日本陸海軍総合事典 第2版. 東京大学出版会, 2005.
- キーワード
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- 太平洋戦争
- 中支派遣部隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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防衛研究所史料閲覧室の目録に「中支那方面部隊略歴」あり
http://www.nids.mod.go.jp/military_archives/
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000285056