レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月27日
- 登録日時
- 2017/12/05 16:24
- 更新日時
- 2017/12/05 16:25
- 管理番号
- 相-170014
- 質問
-
解決
戦前に旧海軍の社交倶楽部であった水交社とその建物(国内のもの)について調べている。国立国会図書館の蔵書検索で水交社発行の会報誌「水交社記事」を見つけたが、他に水交社の概要がわかる資料や各地の水交社の建物図面・写真等があれば教えてほしい。
- 回答
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ご参考になりそうな当館所蔵資料は次の通りです。
○水交社の概要について
・『日本陸海軍事典』原剛、安岡昭男編 新人物往来社 1997<392.1/272 常置>(20960381)
p.264~265に「水交社」が立項されています。
・『日本陸海軍総合事典 第2版』秦郁彦編 東京大学出版会 2005<392.1/256A 常置>(21849641)
p.744に「水交社(海軍)」が立項されています。
・『戦友会研究ノート』戦友会研究会著 青弓社 2012<361.65/42>(22587158)
p.44~48「戦前の軍事関係団体」に水交社の概要について記述があります。また、「雑誌『水交』(一九七六年一二月発行)の水交社一〇〇周年記念号」に関する記述がありました。
・財団法人水交会の季刊誌『水交』<Z397/3 常置>
281号(1976年12月)から307号(1979年4月)まで「“水交”100年概史(1)~(15)、(付)」が連載されています。(290~292、294、301~306号には掲載なし)
明治9年から昭和3年の概史について年表形式で紹介されていました。
299号の前見返しとp.31に、東京水交社の本館(旧久松伯爵邸)、別館(東伏見宮家旧邸)の外観等の写真が掲載されています。
なお、公益財団法人水交会ウェブサイトの「水交書庫」にて水交誌の過去記事を検索することができます。
(https://suikoukai-jp.com/suikoukai/book-room/past-the-article/)
(トップ> 水交書庫 > 水交誌過去記事)
記事名「水交社」で検索したところ、次のような記事がヒットしました。
・市来俊男著「水交社の歴史(1)~(3)」(548、551、554号(2001年4月、7・8月合併、11月)に連載)
当館が所蔵している551号のp.23には「支社の開設」として、「この年(引用者注:明治29年)、水交社は本社のほか、横須賀・呉・佐世保・舞鶴・室蘭に五支社、江田島・竹敷・長浦に三集会所が設けられた。これが昭和十九年には各地水交社十四、集会所二十七、倶楽部五にまで発展した。」と記載がありました。
ただし、水交社のすべての場所を示す資料を見つけることはできませんでした。
○各地の水交社の建物について
(東京)
・『写された港区.1』東京都港区立みなと図書館 1981
※国立国会図書館 図書館向けデジタル化資料送信サービスにて閲覧可能
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9642135)
p.122~123「水交社」の項に概要と写真(昭和13年と52年)があります。
・「〔1〕東京水交社設備工事槪要」『衞生工業協會誌』10(1)p.56~61 1936-01
※国立国会図書館 図書館向けデジタル化資料送信サービスにて閲覧可能
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2289491)
「庭園側外観」「貴賓室放熱器グリル」等の写真と設備について記載があります。
※印のある資料は国立国会図書館でデジタル化されており、国立国会図書館の承認を受けた図書館内の指定のパソコン端末で閲覧可能です。
当館でご利用を希望される際は、当館ホームページの利用案内ページをご覧ください。
(http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/common/guide.htm)
ホーム>利用案内 左端の「デジタル化資料送信サービス」をクリック
(呉)
・『呉市史 第六巻』呉市史編纂委員会編 呉市役所 1988<217.6/1/6>(20047361)
p.645~647に「(三)呉水交社・呉海友社」の項があり、大正後期の建物外観の写真が掲載されています。
・東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブスにて、絵葉書「(呉名所)呉水交支社 呉海軍下士官兵集会所」を閲覧することができます。
(http://www.tobunken-archives.jp/DigitalArchives/record/027C3060-7810-076C-E38B-D73364933642.html?lang=ja)
・広島県立文書館ウェブサイトの「広島県立文書館収蔵 絵はがき」ページにて、呉水交支社の外観が描かれた絵葉書を閲覧することができます。
(http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/postcard16.html)
(横須賀)
1.横須賀水交社について
・『新横須賀史 別編 軍事』横須賀市 2012<K21.31/34/2-3 常置>(60606712)
p.310-312「鎮守府とその周辺・人物⑨横須賀水交社」に横須賀水交社の概要の他、明治33年建築の水交社横須賀支社、大正4年建築の水交社横須賀支社、昭和3年建築の横須賀水交社本館、昭和11年建築の同新館の写真(絵葉書)等が掲載されています。図面の掲載はありません。※田浦(長浦)分社は連合軍の接収を免れ、のちに横須賀基督教社会館愛育園となった旨の記載があります。
・『横須賀水交社創立第五十周年新館落成記念繪葉書』横須賀水交社 1937<K51.31/25 常置>(50689074)
「横須賀水交社沿革概要及新館工事概要」と写真(絵葉書)5枚(「新館宿泊室」「新館第一食堂・新館休憩室」「記念室・次の間」「汐留舊横須賀水交社」「本館・新館」)。
・『絵葉書が語る三浦半島の百年』久保木実編 1984<K219.3/34 常置>(50444926)
p.11に「横須賀軍港汐留通り水交社」の写真が掲載されており、2行解説が書かれています。
・『冩真帖横須賀名所 復刻版』くなとや文庫 1995(1908年刊の復刻版)<K291.31/89A 常置>(60140357)
p.5に「水交支社」についての説明が2行記載されています。また、p.18に「海軍水交支社」の写真が1枚掲載されています。巻末にこの写真の解説が1行あります。
・『目で見る・よこすか100年』横須賀市市長室広報課 1982<K21.31/7 常置>(50497643)
p.46に「汐入にあった将校のためのクラブ、水交社」の写真が1枚掲載されています。
・『ふるさと横須賀 横須賀市制施行100周年記念写真集』郷土出版社 2007<K26.31/22 常置>(60510138)
p.121に「横須賀水交社(大正期)」の写真が1枚掲載されており、説明が3行あります。
・『終戦時に於ける横須賀鎮守府関係参考資料』横須賀地方復員局 1947<K39.31/5/a 常置>(50266931)
p.76の「水交社、海仁會、海友社、海星會、共済組合」に「一、横須賀水交社」があり、昭和20年8月30日の進駐軍上陸後の水交社の建物について5行ほど記載があります。
2.横須賀水交社平塚集会所について
・『登録有形文化財旧横浜ゴム平塚製造所記念館解体調査報告書及び移築・復原工事報告書』平塚市教育委員会社会教育部社会教育課 2011<K52.62/123 常置>(60596798)
「I概要」(p.1-8)の「第2節 建物の沿革概要」があり、大正8年に日本海軍に買収されてから海軍の将校クラブ(水交社)の集会所として用いられた旨の記載あり(p.2)。建物の詳細な図面や写真が多数掲載されています。
・『平塚の戦争遺跡 平塚市博物館・ガイドブック18』平塚市博物館 2001<K26.62/14/a 常置>(60473477)
「1横浜ゴム(株)平塚製造所(旧第二海軍火薬廠)」(p.3-16)に「記念館(旧水交社)」(p.11)があり、建物の概要と写真が掲載されています。
・『神奈川県近代洋風建築調査報告書』神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課 1988<K52/46 常置>(50075522)
「第一章 横浜ゴム平塚製造所記念館」(p.6-10)があり、沿革や建物的特徴が記載されており、横浜ゴム記念館平面図・立面図が掲載されています。また、p.74-75に写真が10枚掲載されています。
・『神奈川県の近代化遺産-神奈川県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書-』神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課 2012<K52/139 常置>(60601556)
p.153-155に「旧第二海軍火薬廠関連施設」があり、「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」についての説明と写真1枚、当初復原平面図が1枚掲載されています。
3.横須賀水交社田浦(長浦)分社について
『新横須賀史 別編 軍事』に田浦(長浦)分社は連合軍の接収を免れ、のちに横須賀基督教社会館愛育園となった旨の記載があったので調査しましたが、『60年の歩み』には、「田浦にある旧海仁会ビル」を使用した旨の記載があり(p.9)、『一年の歩み』には、「沿革」に建物(本館及び分館)は、日本海軍の下士官、兵集会所及び士官宿舎だった旨の記載があります。ただし、本館、分館のどちらが水交社田浦分社であったかは、不明です。建物の写真は、『60年の歩み』に「創立間もないころの社会館本館」(p.8)の写真が1枚掲載されています。『横須賀郷土資料叢書 第3輯』の「田浦町誌」にも概要の記載がありました(p.292~294)。
・『一年の歩み 昭和35年度事業報告書』横須賀基督教社会館 1961<K36.31/1 常置>(50325059)
・『横須賀基督教社会館案内』横須加基督教社会館 <K36.31/7 常置>(50325091)
・『横須賀キリスト教社会館60年の歩み』横須賀基督教社会館編 筒井書房 2006<K36.31/29/60 常置>(60493798)
・『横須賀郷土資料叢書 第3輯』横須賀郷土資料復刻刊行会 1978<K08.31 /1/3-1,3-2 常置>(50224914)
(佐世保)
・海上自衛隊佐世保地方隊ウェブサイトに佐世保水交社の概要と外観の写真が掲載されています。
(http://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/5_museum/29_sasebosuikousya/index.html)
(トップ>佐世保史料館(セイルタワー)>佐世保水交社~佐世保史料館)
(舞鶴)
・『舞鶴市史 現代編』舞鶴市史編さん委員会編 舞鶴市役所 1988<216.2/28/4>(20012431)
第一章の中にある「諸施設の移管」のp.66に舞鶴の水交社および水交分社の移管状況について記載があります。写真は掲載されていませんでした。
(大湊)
・海上自衛隊大湊地方隊ウェブサイトの北洋館のページに、「使用している建物は、大正5年に海軍大湊要港郡の水交支社(海軍士官の社交場)として建てられた」と記載があり、現在の外観の写真が掲載されています。
(http://www.mod.go.jp/msdf/oominato/info/kengaku/hokuyo.html)
(トップ>お知らせ・イベント情報>施設見学のご案内)
(その他)
・『日本陸海軍写真帖』高島信義編 史伝編纂所 1903
国立国会図書館デジタルコレクションにてインターネット公開されています。
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843187)
43コマ(ページ記載なし)に「仝海軍水交社」として写真が掲載されています。所在地の記載はありませんでした。
・『戦争遺産探訪 日本編(文春新書)』竹内正浩著 文藝春秋 2007<210.6/631>(22083265)
p.112~115「偕交社と水交社」の項で、現在保存されている建物として、大湊水交社と横須賀水交社平塚集会所のほか、「海軍兵学校水交館(現海上自衛隊第1術科学校「水交館」)」について言及されていました。
海上自衛隊第1術科学校ウェブサイトに水交館の写真が掲載されています。ただし、水交社との関係については記載されていませんでした。
(http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/about/facility/)
(トップ>第1術科学校について>主要建築物(施設等))
(インターネット情報 2017/12/3 最終確認)
- 回答プロセス
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①当館所蔵の陸海軍関係の事典で概要を確認
②Google、国立国会図書館デジタルコレクションにて「水交社」で検索→建物の写真などを確認
③Googleブックスにて「水交社」で検索→ヒットした『戦友会研究ノート』などを当館所蔵資料で確認
④『戦友会研究ノート』に情報があった水交会の季刊誌『水交』の100周年記念号について所蔵資料にて確認
⑤水交会サイトで『水交』の過去記事を検索→ヒットした記事「水交社の歴史」を所蔵資料で確認したところ、水交社の場所について記載あり→各地方史・誌を確認
⑥神奈川県内の水交社について地域資料を確認
- 事前調査事項
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「国内では横須賀水交社平塚集会所(現横浜ゴム平塚製造所記念館)・佐世保水交社・大湊水交社が現存しているようだ。舞鶴水交社・横須賀水交社も存在は確認できたが、現存していないようだ。
かつて海軍の軍港・要港であった地域には水交社が存在していたのではないかと思っている。」との情報をいただいた。
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 9版)
- 海軍 (397)
- 参考資料
- キーワード
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- 水交社
- 海軍
- 横須賀市-神奈川県
- 平塚市-神奈川県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225905