(1)googleにて、「わたしゃ備前の岡山育ち」という言葉をキーワードにして検索すると、岡山シティミュージアムの「デジタルアーカイブ」のページ(資料①)がヒットする。
・歌の題名は「米のなる木」で、歌詞は、下記のとおり記載されている。
「わたしゃ備前の岡山育ち 米のなる木をまだ知らぬ(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ ア 一息ふんばれ お次の宿場じゃ 十八女郎衆が 待っちょる 待っちょる)…(後略)」
・歌を音声で聴くことができる。
・歌については、下記のとおり解説されている。
「参勤交替の際、備前藩の荷担役が唄っていたといわれる道中唄。明和年間には成立していたと見られる「わたしゃ備前の岡山育ち・・・」の歌詞は、米どころ岡山の宣伝文句として全国的に有名です。大名行列の道中唄として用いられたため、街道沿いから各地に広まりましたが、曲節については、江戸後期の流行歌「よしこの」「二上り新内」等の影響を受けて岡山流の唄が定着したものといわれています。明治初期には、芝居、講談等で、御家騒動記「備前騒動・筆の命毛」が創作、上演され、牢獄場面で「米のなる木」を挿入歌としたため、多くの人々に知られるようになりました。」
(2)『岡山の歌謡』(資料②)の「米のなる木」の項目を確認する。
・「米のなる木」の歌詞に加え、楽譜が掲載されている。
・「米のなる木」について、「他県の人から生国をたずねられたとき、『岡山です』と答えると、『ああ、あの“米のなる木はまだ知らぬ”の岡山ですね』といわれたぐらい有名だった。」と記載がある。
・「この民謡には五十数通りの解釈があるが、それを系統的に大別すると、次の五種に分類される。」とし、解釈を紹介している。以下のとおり、引用する。
「《1》名君池田新太郎少将光政が備前藩の威勢を天下に示すため、参勤交代の江戸への道中に、当時の街道アナウンサーである雲助たちに『米のなる木』を歌わせた、という説。
《2》罪の母を親として、獄舎で生まれて育てられた少女が、使役の米つきをしながら口ずさんだ。その哀れさに獄吏も同情し、ついに藩主の耳にはいって釈放された、という仁政ぶりの宣伝歌、との説。これは最も知られている。
《3》三歳の女児が、母の乳房をかみ切り、そのために母を死亡させた罪で獄舎に捕らわれた。獄舎で育ったこの少女が麻なわをないながら歌う、そのふびんさに許された、という説。
《4》岡山京橋ぎわの分限者の愛嬢が、倉敷の大家に嫁入りする途中、庭瀬口にさしかかったとき、かごの中から『この草は何という草じゃ』と稲をさしてたずねたことから生まれた、という説。
《5》負けずぎらいな光政が大名たちの集まりのとき、郷土自慢の歌として作ったのが天下に普及した、という説。」
・上記《1》~《5》についての解釈に対する考察も記載されている。
(3)『伝説よもやま話 岡山奇聞』(資料③)では、「米のなる木」について、岡長平氏は「あれだけ有名で、文献資料はなに一つない…。これは断言できると思う。五十年じかく、この問題を手がけて来て、かつて、それらしいものに出会ったことがないからだ。」と述べている。
資料②で挙げた5つの説に加えて、さらに「船頭唄」説「熊沢蕃山」説なども挙られており、個々の説について詳細な記述がある。
(4)岡長平氏の「米のなる木」についての記述は、資料③以外にも『岡山の味風土記』(資料④)、『岡長平著作集 第4巻 岡山風土記』(資料⑤)、『岡山県の盆踊と民謡』(資料⑥)でも、掲載がある。
特に資料⑥では、「米のなる木」の本歌として、資料①の歌詞の続き(「待っちょる」のあと)を掲載している。以下のとおり、引用する。
「米のなる木を、知らねば見しよう、八畳たゝみの、裏ごろうじ。
備前岡山、住みよいところ、白い御飯にとと(魚)添えて。
岡山街々、夜更けて通りゃ、太鼓つづみに、三味の音。
備前出てから、片上泊まり、明日は播州の、有年泊り。
備前の殿様、姫路が泊り、そこで姫路が、繁盛する。
備前さんなら、今いうて今じゃ、有馬さん 久留米の殿様 なら、先づ思案。
備前の殿様、蝶々の御絞、来てはちらちら、迷わせる。」
なお、歌の中の「久留米の殿様」という文言は、前後の文字列と違う表記をしている。「有馬さん」の注記の可能性があるが、資料では明確に表示されていない。
(5)他にも、『日本民謡大観〔5〕中国篇』(資料⑦)を見ると、
「この唄は、参覲交代の人足達が謡っていたものといわれているが、それなら当然『雲助唄』であるべきだが、曲は似ても似つかぬもので、しかもこの種の唄は東京の内藤新宿の廓や、埼玉県深谷市の廓へ通った近郷の人達が、その往来に謡った『投げ節』として採集できているだけに、本県の場合も、元は岡山市中の遊廓へ遊びに通う若者達の間で流行った「ひやかし節」を、参覲交代の人足達が口ずさんだのではないかと思われる。」と記載がある。
(6)「きび野」第7号(資料⑧)と第17号(資料⑨)の巻頭コラム「岡山の民謡」にも「わたしゃ備前の…」で始まる歌詞と解説が掲載されているが、資料⑨のほうは「米のなる木」ではなく、「備前轆轤(ろくろ)唄(備前市)」として紹介されている。
(7)歌は、カセットテープ『岡山の民謡』(資料⑩)に収録されている。