レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/10
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:36
- 管理番号
- M14021114566333
- 質問
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岡山県内で小倉織の生産がはじまったのはいつ頃か。
- 回答
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・『岡山県の繊維産業』(資料①)の「第1章 岡山県繊維産業の歴史」にある、「江戸時代」の項目では、「金毘羅と並ぶ信仰地としてにぎわった児島地域の北部にある由加山で、参拝客らに真田紐や小倉帯地が土産として人気を博し、現在の児島田の口、唐琴地域に織物業が発展した。」と記載されている。また、欄外の注記には、「小倉織は江戸時代の豊前小倉藩で生まれた、縦縞を特徴とした木綿の織物。高密度な経(たて)糸、太い緯(よこ)糸で織られ、染めが良く、良質で丈夫なため、日常着や武士の帯地として広まっていた。」と記載されている。しかし、県内で小倉織がいつから始まったかについて明確な記載はない。
・『新修倉敷市史 4 近世 下』(資料②)の「児島で始まる小倉織」の項目では、小倉織が始まった時期について、明治22年(1889)3月31日の「山陽新報」(資料③)と『備前織物の今昔』(資料④)の記述を紹介している。
・資料②を受け、資料③と資料④を確認する。
明治22年(1889)3月31日の「山陽新報」(資料③)には、「備前小倉織の沿革」について記載があり、「小倉織は文化12年の頃田之口村田村〓次郎なる者始めて同織物を発明したりし」と記載がある。(→「〓」は判読不明文字)
『備前織物の今昔』(資料④)には、「寛政の初年田の口(琴浦町)に於て始めて眞田を製織し其前後に於て迫川(荘内村附近)方面に常袴と称する袴地の製造起り同十年の頃には上村(琴浦町)小川(小田村)の地方にて小倉帯地及眞田の製造を見る。次いで引網、山村(琴浦町)に傳播するに至りたりと傳ふ。」とある。『岡山県児島郡誌』(資料⑤)にも、同様の記載がある。
・『児島産業史の研究』(資料⑥)では「繊維工業の状況と備前岡山藩」について記載があり、小倉帯地の製造について資料④の文章をを引用している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 9版)
- 参考資料
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①倉敷ファッションセンター株式会社編『岡山県の繊維産業』岡山 岡山県商工部工業振興課,2011,38p.参照はp.1.
②倉敷市史研究会編 『新修倉敷市史 4 近世 下』岡山 山陽新聞社,2003,833, 9p,図版6枚. 参照はp.368-375.
③『山陽新報』1889年3月31日第1面
④備前織物同業組合編 『備前織物の今昔』岡山 備前織物同業組合 ,1979,1冊.参照はp.1.〔複製本(複製者:岡山県総合文化センター)原本の刊行年:1919〕
⑤私立児島郡教育会編『岡山県児島郡誌』(大正4年刊の復刻) 文献出版,1977,4, 2, 9, 664p. 参照はp.480-481.
⑥多和和彦『児島産業史の研究』児島 児島の歴史刊行会,1959,356p. 参照はp.166-167.
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①倉敷ファッションセンター株式会社編『岡山県の繊維産業』岡山 岡山県商工部工業振興課,2011,38p.参照はp.1.
- キーワード
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- 小倉織
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2014021114525266333
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154846