レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年07月01日
- 登録日時
- 2018/12/20 14:06
- 更新日時
- 2018/12/20 14:06
- 管理番号
- 市川20180701-03
- 質問
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解決
戦後、GHQより新制高等学校は男女共学化を命令されたはずだが、埼玉・群馬・栃木の3県には男女別学の県立高校が多く現存している。それはなぜか。
- 回答
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『学制100年史』(文部省/[編] 帝国地方行政学会 1972・同書は文部科学省のサイトからも閲覧可能 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317746.htm 2018.12.12確認)によると、p.727に「新制高等学校の発足に当たって、三つの原則が総司令部から強く主張された。それは学区制、男女共学制および総合制の原則である。」とあり、続けて、「二十二年二月の「新学校制度実施準備の案内」では、必ずしも男女共学でなくてもよい、男子も女子も教育上は機会均等であるという新制度の根本原則と、「地方の実情、なかんずく地域の教育的意見を尊重して」決定すべきであるとされ、同年の「新制高等学校実施の手引き」においても同様の趣旨が述べられていた。」と説明されている。
同じことが『戦後高校教育史』(萱原昌二/著 学事出版 2006)でも確認できる。
p.19-20に、「高等学校設置の方針の実施に当たって、文部省は「地域の主体性を尊重し、住民の意向や地域の実状に応じて行うように指導していた。事実、その実施状況には、都道府県によりかなり差が見られる。(中略)男女共学制をとったのは高校総数の六三%であった。ただ、これらは各学校ごとに決まったというよりは、都道府県ごとにほぼ一律に行われている。ということは、占領軍の地方軍政部の担当課長の考え方いかんによって違った結果となった」のである」とある。
また、p.21には、「概して地方軍政部の指導は、西日本には厳しく、東日本にはやや緩やかであったという。長い歴史と伝統をもつ学校に限り、男女別学が認められた県もあった。関東地方では、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県で男女別学の高等学校が認められ、現在でもその名残が見られる。」という記述がある。
以上のことから、栃木・群馬・埼玉の3県に関しては男女共学化が絶対ではなかったこと、歴史や伝統がある高校は男女別学を許されていたこと、地方の実情や意見などが考慮されたこと、などの理由によって、男女別学の高等学校が多く現存しているのではないかと推測される。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000248842