レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年03月21日
- 登録日時
- 2018/03/21 10:40
- 更新日時
- 2018/08/02 11:33
- 管理番号
- 千葉市中央141
- 質問
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解決
祖母の話によると、学童時代(おそらく1930年前後)に、学童を対象とした見学会(修学旅行の様なもの)で当時の戦艦「陸奥」に乗ったというが、それを記録する文書文献等はありますか。
- 回答
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1930(昭和5)年前後に、学童向けの軍艦の見学会が実施されていたかを調査したところ、以下の資料に関連する記述が確認できました。
1 『学校史でまなぶ日本近現代史』
(歴史教育者協議会/編、地歴社、2007.8)
※P142~144に「戦前の遠足・修学旅行」という項目があります。この中で、昭和初期に入り、戦時色が強まると、「敬神崇祖思想と国防意識の昂揚」が遠足や修学旅行ではかられて、軍施設や軍艦見学が重視されたと書かれています。144ページに『御殿場小学校創立百周年記念誌』から引用された「戦前の修学旅行。軍艦三笠の見学」の写真が掲載されています。
2 『日本海軍 歴群<図解>マスター 本モノの知識が身につく!』
(歴史群像編集部/編、学研パブリッシング、2010.11)
※P186~187に「海軍の広報活動」という項目があります。この中に、「鎮守府が置かれた各都市では、戦時を除き、軍港見学と軍艦の拝観ができた。」という記述があり、昭和9年から10年頃の呉・佐世保軍港見学案内の内容が紹介されています。また、「軍艦見学に訪れた女学生集合写真。大正13(1924)年4月撮影」というキャプションが付された写真が掲載されています。
3 「国民的アイドル戦艦「陸奥」の生涯」
(『丸』2012年4月号、潮書房、P98~101)
※上記の記事の100ページに、「この時代(※調査者註 前後の文脈から、昭和天皇が即位した昭和2年からワシントン条約を破棄した昭和9年頃までと読み取れます。)が「陸奥」にとって最も幸せな時代だったかもしれない。連合艦隊旗艦であることが多い長門と違って(「長門」と「陸奥」は交互に旗艦を務めた)、在郷軍人会や国防婦人会などの来客を迎えること」が多かったと書かれています。
1から3の資料により、戦前に、①修学旅行で軍艦見学が行われていたこと、②鎮守府が置かれた各都市では、戦時を除き、軍艦の拝観ができたこと、③戦艦「陸奥」でも見学が行われていたらしいことが分かりました。
しかし、当市の資料では学童が「陸奥」を見学したことが確認できなかったため、千葉県立西部図書館に朝日新聞の記事データベースの調査を依頼したところ、下記の関連記事の回答を頂きました。
○1929(昭和4)年3月10日 東京朝刊 11頁
「小学生満載の通船が転覆 三田尻湾内の惨事」
※記事中、小学生が「陸奥」を見学したことについて触れられています。
この記事は当館所蔵の下記資料でご覧頂けます。
4 『朝日新聞縮刷版 昭和4年3月』 P10-15
[朝日新聞社/編]、日本図書センター、2005.8)
他に、中国放送の公式ホームページで、戦前の戦艦見学に関連する映像が公開されていましたので、参考までにご紹介します。
RCC中国放送 http://rcc.jp/
ひろしま戦前の風景(トップページの下部) > 広島市内はこちら > [12] 広島湾と戦艦見学会(2分46秒)
※昭和3年(1928年)ころの映像。解説に「後半には「扶桑」と思われる戦艦の見学会に乗船する人々なども撮影」とあります。
- 回答プロセス
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1 所蔵資料を自館OPACで検索
・キーワード「陸奥」で検索 → 『丸』2012年4月号
・キーワード「日本海軍」で検索(あわせて該当資料の書架のブラウジング) → 『日本海軍 歴群<図解>マスター 本モノの知識が身につく!』
・「戦前」、「戦中」、「昭和初期」と「学校教育」、「子ども」、「学童」、「修学旅行」、「生活」、「日常」等のキーワードをかけあわせて検索
→軍艦ではなく、潜水艦の見学が実施されていたことが分かる資料が見つかる。
※検出された資料
(1)『戦前の生活 大日本帝国の“リアルな生活誌”』武田 知弘/著、筑摩書房、2013.3
P154~157に「奥様方が潜水艦見学…戦前のカルチャー・ブーム」という項目あり。
2 Goooleでの検索
「陸奥」またはその他の戦艦の見学に関する情報を得るため、キーワード「陸奥」、「戦艦」、「軍艦」、「小学生」、「学童」、「見学」、「見学会」等をかけあわせて検索。3の調査で「軍艦見学」というフレーズを得た後に、再度「軍艦見学」で検索。
→ 中国放送公式ホームページ「広島湾と戦艦見学会(2分46秒)」
3 GoogleBooksによる調査
・戦艦「陸奥」の見学に関する資料
キーワード「陸奥」、「戦艦」、「軍艦」、「小学生」、「見学」、「見学会」等をかけあわせて検索。また、この検索の過程で「軍艦見学」というフレーズを得たので、「軍艦見学」で検索 → 軍艦見学の実施について確認できる資料が検出されたが、「陸奥」ではない。
※検出された資料
(1)『そうそう そうなんだよ 小説 和田信賢』山川 静夫/著、日本放送出版協会、1983.5
P38に小学校時代の「遠足をかねた見学会で戦艦「長門」を訪問」とある。作中に和田信賢氏は明治45年生まれとあるので、大正年間のことと考えられる。
(2)『信仰と教育と サン・モール修道会 東京百年の歩み』渋川 久子/共著、評論社、1981.6
P275。「第三章 雙葉高等女学校設立」中に、昭和9年5月23日「五年生軍艦見学(麻耶)。」とあり。
・修学旅行と軍艦見学に関する資料
キーワード「修学旅行」と「軍艦見学」をかけあわせて検索 → 『学校史でまなぶ日本近現代史』
また、『修学旅行総覧』(全国修学旅行研究協会、1990)が検出される。千葉県立中央図書館所蔵の1997年発行の資料を借用して確認。P18「戦前の修学旅行の変遷」中に、修学旅行での軍艦見学についての記述あり。
4 CiniiBooks「内容検索」による調査
・戦艦「陸奥」または軍艦の見学に関する資料
キーワード「陸奥」、「戦艦」、「軍艦」、「見学」等を掛けあわせて検索 → これといった資料はなし。
・昭和期戦前、戦中の修学旅行に関する資料
キーワード「戦前」、「戦中」、「昭和初期」、「歴史」、「修学旅行」等をかけあわせて検索 → これといった資料はなし。
5 国立国会図書館デジタルコレクションの調査
・キーワード「軍艦見学」で検索 → 軍艦の見学が行われたと分かる資料は検出されたが、「陸奥」ではない。
※検出された資料
(1)インターネット公開『大阪府中等学生海軍軍事講習報告書』(大阪府教護聯盟 編・発行、昭和13)
P37「軍艦見學」
(2)図書館送信資料『日本思想 2(7)』(無水庵/発行、1926-07)
P30「横須賀の軍艦見學」
6 千葉県立西部図書館に朝日新聞記事データベース「聞蔵2ビジュアル」の調査依頼
1から5の調査を行ったが、書籍で得られる情報が少ない。特に「陸奥」の見学に関する情報の調査には、新聞の方が適切ではないかと考える。当館で復刻版を所蔵していることから、記事本文の確認が可能な朝日新聞記事データベース「聞蔵2ビジュアル」の調査を千葉県立西部図書館に依頼。次の回答を頂いた。 → 朝日新聞 昭和4年3月11日 「小学生満載の通船が顛覆 三田尻湾内の惨事」
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 海軍 (397 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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歴史教育者協議会 編 , 歴史教育者協議会. 学校史でまなぶ日本近現代史. 地歴社, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008833594-00 , ISBN 9784885271809 (P142~144「戦前の遠足・修学旅行」) -
歴史群像編集部 編 , 学研パブリッシング. 日本海軍. 学研パブリッシング, 2010. (歴群「図解」マスター)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011021229-00 , ISBN 9784054047631 (P186~187「海軍の広報活動」) - 潮書房,丸 2012年 4月号 (98~101「国民的アイドル戦艦「陸奥」の生涯」)
- [朝日新聞社/編],日本図書センター,朝日新聞縮刷版 昭和4年3月,2005.8 , ISBN 4-8205-4938-3 (P10-15 3月11日「小学生満載の通船が顛覆 三田尻湾内の惨事」)
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歴史教育者協議会 編 , 歴史教育者協議会. 学校史でまなぶ日本近現代史. 地歴社, 2007.
- キーワード
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- 戦艦見学
- 軍艦見学
- 修学旅行
- 日本海軍
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000232825