レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20160724
- 登録日時
- 2019/10/28 00:30
- 更新日時
- 2020/05/21 14:45
- 管理番号
- 0000200645
- 質問
-
解決
1972年「大阪千日デパート火災」、1973年「熊本大洋デパート火災」の関係記事について、佐賀新聞の掲載ページ。
- 回答
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御質問の件について、下記のとおり回答します。 それぞれ、火災の翌日から一週間分の佐賀新聞を調査しました。
1.「大阪千日デパート火災」については、次の資料に記載がありました。
(1)『佐賀新聞』 1972年5月14日 佐賀新聞社 11面
「六人の死亡を確認 大阪 千日デパート焼く」
(2)『佐賀新聞』 1972年5月15日 佐賀新聞社 1面
「死者116重軽傷38人 千日デパート火災戦後最大の惨事に アルサロの客、ホステス 延々七時間も燃えて 適切な誘導怠った アルサロ支配人取り調べ」
社説「有明抄」の内容が千日デパートビル火災になっています。
(3)『佐賀新聞』 1972年5月15日 佐賀新聞社 10面
「大参事なぜ起こった! 救命袋たった一つお粗末な防火防煙対策」
判明した死者名の記載。
(4)『佐賀新聞』 1972年5月15日 佐賀新聞社 11面
「歓楽の夜、一瞬〝煙地獄〟 千日デパート火災大阪窓ぎわ折り重なる遺体 あわれドレス姿で母の日というのに 続々ホステスのヒツギ泣きすがる遺児」
(5)『佐賀新聞』 1972年5月16日 佐賀新聞社 10面
「対岸の火事ではないビル火災と佐賀市 ハシゴ車たった一台〝高層〟ラッシュの時勢に」
(6)『佐賀新聞』 1972年5月17日 佐賀新聞社 3面
論説「対岸の火事ではない」、また「近く中央防災会議 政府千日火災を重視」、「警察関係も監察へ 非常事故対策 掘り下げた内容で」
2.「熊本大洋デパート火災」については、次の資料に記載がありました。
(7)『佐賀新聞』 1973年11月30日 佐賀新聞社 1面
「死者99負傷100 熊本の大洋デパート全焼 歳末商戦の最中 必死の救出作業むなし 三階呉服売り場から 折り重なる遺体の山でたらめ安全管理」
(8)『佐賀新聞』 1973年11月30日 佐賀新聞社 10面
「無防備が生んだ〝人災〟 非常ベル故障店員も我先に取りやめた定休日 デパート拡張合戦の熊本防火管理責任追及へ 消防庁予防運動期間に衝撃 警察庁が対策本部を設置」
主なデパート火災についての記載もあります。
(9)『佐賀新聞』 1973年11月30日 佐賀新聞社 11面
「目を覆う焦煙地獄 黒焦げ性別も不明 たった一台のハシゴ車街路に飛ぶ客、店員 押し倒されながら 暗黒の店内窓際へ、屋上へ怒りぶつける遺族 山口社長を取り巻き」
死亡者氏名記載。
(10)『佐賀新聞』 1973年12月1日 佐賀新聞社 3面
論説に「ビル火災起こさぬ予防を」
(11)『佐賀新聞』 1973年12月1日 佐賀新聞社 14面
「ビル火災 県内は大丈夫か 消防体制お手上げ ハシゴ車、たったの一台避難誘導路の確保を 佐賀市消防署大型店を緊急査察階段の商品など一掃 デパートスーパー防火施設はまずまず」
(12)『佐賀新聞』 1973年12月1日 佐賀新聞社 15面
「犠牲者は100人に1遺体発見 保安無視の人災大洋デパート火災失火疑い強まる 〝廃虚〟の現場検証続く〝いまさら始まらぬ〟 遺体安置所悲しみと怒りの涙10人がCO中毒 黒岩九大教授診断」
(13)『佐賀新聞』 1973年12月3日 佐賀新聞社 11面
「刑事責任を追及へ 大洋デパート火災防火体制は〝欠陥〟」
(14)『佐賀新聞 唐津伊万里版』 1973年12月4日 佐賀新聞社 9面
「〝第二の大洋デパート〟防げ 停電対策にも万全を 唐津・東松浦消防本部四ビルで 特別査察」
(15)『佐賀新聞』 1973年12月6日 佐賀新聞社 11面
「悲しみ、怒り新た 大洋デパート火災慰霊合同祭死者は百四人に 大洋デパート火災」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 社会福祉 (369)
- 参考資料
- キーワード
-
- 火災
- 千日デパート
- 大洋デパート
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000262984