レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月14日
- 登録日時
- 2022/09/13 09:49
- 更新日時
- 2022/09/28 09:11
- 管理番号
- 中央-1-0021562
- 質問
-
解決
現在の浦和区常盤付近にあった監獄の墓について知りたい。『埼玉師範附属小学校』のp52の地図「別所沼と大戸方面」に記載されている。
- 回答
-
『埼玉師範附属小学校』(高師康/編 さきたま出版会 1979年)のp52の地図に「監獄の墓の記述」を確認。
関連の記述がある資料を紹介した。
●図書資料
(1)『浦和市議会史 上巻』浦和市議会史編さん委員会/編 浦和市議会 1960年
p331、p345に、墓地に関する記述あり。地名は「浦和町鯛ヶ窪」となっている。
付属資料の地図(昭和9年)で鯛ヶ窪の場所を確認。『埼玉師範付属小学校』の「別所沼と大戸方面」の地図とほぼ一致している。ただし、浦和監獄との関連については書かれていない。
(2)『浦和市史 通史編3』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990年
p98 秩父事件の記述の中から一部抜粋
「浦和監獄署では“其設置以来一時に最も多数を収容したるは去る明治十七年の秩父暴動事件の際にして入獄者実に二百八十名に及びたり”と記録されている(『明治四十五年浦和案内』)。なお浦和監獄・更生園の墓には獄死者として一〇名の名が刻まれている。」
出典の『明治四十五年浦和案内』は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
『浦和案内』須賀健吉/著 須賀健吉 明45年3月 書誌ID:000000425578
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763644
27コマ目(p36~37)浦和監獄署の説明あり。
(3)『色川大吉著作集 第4巻』色川大吉/著 筑摩書房 1996年
p170 秩父事件における秩父困民党の村竹茂市(獄死)について「埋葬地が長い間分からなかったが、最近になって浦和更生院(旧監獄)の共同墓地であることが判明した。」とあり。
(4)『秩父困民軍の人と闘い 秩父事件を歩く 第2部』戸井昌造/著 新人物往来社 1980年
p265「その五 (二)芦ヶ久保村・名栗村・坂石村」の章
当時の記録の中で、「浦和更生園の墓石に、横瀬村の大野茂吉らとともに、“浅見嘉七”の名が刻まれている ― コウモリのようにうまく泳いだかに見える嘉七も浦和監獄で殺されたのである」
(5)『秩父事件<佐久戦争>を行く』上条宏之/編 銀河書房 1984年
p125「浦和更生園墓地に祀られている秩父事件関係の在監人合葬之墓」の白黒写真あり。
(写真の解説はp122にあり)
●インターネット情報
※最終アクセス確認日:2022年9月13日
明治学院大学機関リポジトリ
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/
検索窓に「秩父事件を追って」と入力すると、下記の論文が閲覧できる。
「秩父事件を追って」著者 播本 秀史
9枚目(p102)に、浦和監獄で獄死した秩父事件等関係者の名前が列挙されており、その注として「浦和更生園墓石、さいたま拘置支所の管轄」と書かれている。
墓地についてより詳しい情報がないか、さいたま拘置支所に問い合わせをしたが、墓地についての情報は公開していないとの回答だった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 刑法.刑事法 (326 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 監獄
- 刑務所
- 墓
- さいたま市浦和区
- 照会先
-
- さいたま拘置支所
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321167