レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/02/06
- 登録日時
- 2022/03/30 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:32
- 管理番号
- M08031910284914
- 質問
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幼名、通称等、実名以外の複数の名を使用できなくなったのは明治以降だったが、その法令を見たい。
- 回答
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①『氏と名と族称』第四章「名前をめぐる政策と法 : 明治前期を中心として」及び第五章「明治前期の改名禁止法制」に詳しい。それによると、「明治四(一八七一)年四月に『戸籍法』が公布され、翌五年から施行された。政府は、この戸籍を通じて、氏と名によって国民すべてを把握しようとした。(中略)明治五(一八七二)年五月七日に『複名禁止令-選択的一人一名主義-』(太政官布告一四九号)が、同年八月二四日に『改名禁止令』(太政官布告二三五号)が出され、(中略)複名習俗および改名自由の習俗は法制上廃止された」たとある(p.78)。上記の布告以外にも、明治に入ってから戸籍法制定の明治4年までに名前に関する様々な布告があり、「改名禁止令」後の動向も含め詳細な流れが解説されている。
なお、第四章にあたる論文の初出は『名前と社会 : 名づけの家族史』(1999年刊)であり、当館所蔵の新装版(②)でも同様の内容が確認できる。
③『氏名の誕生 : 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』では、「通称と実名の両様の使用は、個人の特定を難しくするし、かつ江戸時代と違って、両者の用途が同一化してきた以上、もはやどちらか一方だけでよいではないか――、と考えられた」ため、明治5年の5月7日に太政官が、「通称・実名(「名乗」)、一人のもつ個人名はどちらか一つだけにせよ」という布告を出したとしている。この布告は太政官布告第149号であり、本文が引用されている。また、「明治五年八月二十四日、政府は次のような太政官布告によって、あらゆる改名(苗字・名・屋号の改称)を全面的に禁止した」として太政官布告第235号を引用している。
このほか、④『日本人の姓・苗字・名前 : 人命に刻まれた歴史』にも、明治になって改名や複名が禁止されたことについての記述がみられる。
①や③で示された戸籍法、明治5年太政官布告第149号、明治5年太政官布告第235号については、『法令全書』(⑤⑥)および『明治前期家族法資料』(⑦)で内容を知ることができる。特に⑦は①で参考文献として使われており、上記以外の関連する布告も見ることができる。
・戸籍法(明治4年太政官布告第170号)
⑤『法令全書 第4巻』p.114-138.
⑦『明治前期家族法資料 第1巻』p.83-96.「一九七 戸籍法ヲ定ム」
・明治5年太政官布告第149号
⑥『法令全書 第5巻ノ1』p.101.
⑦『明治前期家族法資料 第1巻』p.134.「三〇四 通称名乗両様用来候輩自今一名タラシム」
・明治5年太政官布告第235号
⑥『法令全書 第5巻ノ1』p.185.
⑦『明治前期家族法資料 第1巻』p.140-141.「三二四 華族ヨリ平民迄苗字名並屋号共改称ヲ禁シ同苗同名ニテ差支アル者ハ願出シム」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 民法.民事法 (324 9版)
- 参考資料
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①井戸田博史『氏と名と族称』京都 法律文化社,2003,245p. 参照はp.77-135.
②上野和男, 森謙二 編『名前と社会 : 名づけの家族史』 早稲田大学出版部,2006,279p. 参照はp.76-99.
③尾脇秀和『氏名の誕生 : 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』 筑摩書房,2021,313p. 参照はp.202-287.
④大藤修『日本人の姓・苗字・名前 : 人名に刻まれた歴史』 吉川弘文館,2012,248p. 参照はp.182-191.
⑤内閣官報局 編『法令全書 第4巻 : 明治4年』 原書房,1974,942p. 参照はp.114-138.
⑥内閣官報局 編『法令全書 第5巻ノ1 : 明治5年』原書房,1974,774p. 参照はp.101, 185.
⑦外岡茂十郎 編『明治前期家族法資料 第1巻 : 家族関係法規集 1』 日本図書センター,2010,342p. 参照はp.83-96, 134, 140-141.
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①井戸田博史『氏と名と族称』京都 法律文化社,2003,245p. 参照はp.77-135.
- キーワード
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- 氏名
- 姓名
- 複名
- 改名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2008031910273484914
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000314254