レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/10/21
- 登録日時
- 2021/11/03 00:30
- 更新日時
- 2021/11/18 13:10
- 管理番号
- 10615643
- 質問
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未解決
明治2年~明治14年までの間に開削された道路の地点をプロットしており、北海道の開拓期の地名「平慶溜珍(ぺけるちん)」の位置を知りたい。
出典:『昭和までの北海道道路史物語』上野正人/著 亜瑠西社 2020年刊行 p.214
- 回答
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ご質問の平慶溜珍の位置が端的に示された資料は確認できませんでした。
資料1~4によると、平慶溜珍は、平慶瑠珍、ペケルチシ、ペチルチシ等、表記に揺れがあるようです。
資料2では、松浦武四郎の『久摺日誌』に関して平慶瑠珍とあることから、松浦武四郎に関する資料5~8等も確認しましたが、平慶溜珍(表記揺れ含む)の記載は確認できませんでした。
資料4に「釧北峠のペチルチシ」との記載があり、釧北峠付近ではあったようですが、釧北峠は旧道と新道があり(資料9)、松浦武四郎の時代においては東寄りの旧道であったようです。
【 】内は、国立国会図書館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館/図書館送信参加館内公開資料、☆を付した資料はインターネット公開資料です。
資料1:北海道庁 編『北海道道路誌』北海道庁, 大正14【542-29】☆
* 明治7年9月のこととしてp.82に字藻琴から字平慶溜珍まで道路新開との記載があります。同ページには、8年1月の「北見國より釧路國に通する道路開鑿」の為の巡視に関する記載もあります。
* 該当箇所のURL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017852/55
資料2:編集: 美幌町史編さん委員会『美幌町史』美幌町, 1972【GC7-67】◎
* 「第2篇第2章第1節 文献に残る美幌」中、「阿寒周辺のアイヌ生活(久摺日誌)」(pp.106-108):この項目では、松浦武四郎の『久摺日誌』に言及しています。同書は、安政5(1858)年3月24日から4月16日までの東西蝦夷山川地理取調の際の記録です。
* p.107に「29日温泉を出発(中略)湖畔に沿って尻駒川にいたり、これから沢づたいに山へ入る。平慶瑠珍(ペケルチシ)を越えると、山中はまだ雪深く、案内に立つ網走の小使エコレは大木の鉞目を目印に先導しつ、網走川の水源に出る。」とあります。
* p.844に「この道路は、網走の藻琴から美幌~活汲~津別~翻木禽を経て釧北国境の平慶瑠珍(ペケルチシ)までの17里18町5間で(中略)「美幌官設道路」と称された。」とあります。
資料3:網走市史編纂委員会 編『網走市史 上巻 』. 網走市, 1958【211.1-A1112】◎
* pp.848-849:藻琴~平慶瑠珍(ペケルチシ)間の道路開削についての記載があります。
資料4:北海道道路史調査会 編『北海道道路史』北海道道路史調査会, 1990.6【DK32-E55】
* 3 路線史編p.356に「網走の藻琴から美幌~活汲~津別~ポンキキン~釧北峠のペチルチシまでの17里18町5間(68.7km)の路程」等の記載があります。
資料5:松浦武四郎 原文, たけしろうカンパニー [訳]『久摺日誌 : 自由訳 改訂』たけしろうカンパニー, 2016.10【GC5-L73】
* p.20:「安政5年(1858)武四郎の6度目の探索ルート」の図
* pp.42-44:3月29日
資料6:松浦武四郎. 刊『久摺日誌』万延元 [1860] 序, 文久元 [1861] 跋【特1-73】☆
* 3月29日の箇所のURL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534609/14
資料7:釧路叢書編纂委員会 編『釧路叢書 第1巻 (松浦武四郎蝦夷日誌集)』釧路市, 1960【081.7-Ku946】◎
* pp.53-84「久摺日誌 松浦武四郎」
資料8:松浦武四郎 著, 高倉新一郎 校訂, 秋葉実 解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上』北海道出版企画センター, 1985.3【GC5-170】
* 松川武四郎の安政5(戌午)年の山川調査時の記録です。資料2の『久摺日誌』と同様の旅程について書かれたものと考えられます。
* pp.293-327「第9巻 安加武留宇智之誌 弐(阿寒湖巡り、釧北峠~相生~本岐、津別町達眉)」:三月二十七日(陽暦5月10日)阿寒湖巡り 釧北峠~相生~本岐 四月一日(5月13日)津別町達眉」
* pp.303-307廿八日(※『久摺日誌』と日が合いませんが、同書における29日の旅程が書かれているようです。日程の異同については「はんれい」(pp.5-6)のp.6に言及があります。):『久摺日誌』より細かく地名が描写されています。釧北峠(エナヲウシ)の前後にシユルクヲマベツルウチシ、アバシリルウチシ等の地名が見受けられますが、平慶溜珍と同定できる記載は見当たりませんでした。
* pp.321-327「(付)戌午第九巻 安加無留宇知之日誌 二 地名照合表」:『久摺日誌』や道庁20万図等との地名対照表が掲載されています。上述のエリアの地名郡については、p.324に掲載があります。
資料9:『日本歴史地名大系 第1巻 (北海道の地名)』平凡社, 2003.10【GB11-H16】
* pp.1234-1235「国道二四〇号」:東寄りの旧釧北峠道に対し、昭和42年に峠道が西寄りに移されたことが記載されています。
* p.1426「アバシリ越新道」:「現白糠町の庶路を起点に庶路川を遡行、阿寒湖の南岸から西岸に回り、現釧北峠付近のルウチシ(ルチシ)で山を越えて網走川上流へ出、同川沿いに北行、美幌・女満別・網走を経て斜里に至る道。」等の説明があります。
[その他の主な調査済資料・ウェブサイト]
山田秀三 著『北海道の地名』北海道新聞社, 1984.10【GC5-161】
* p.214「ルーチシアパシリ 釧北峠 せんぽくとうげ」:「ルーチシ・アパシリ「ruchish-apashir 峠の(ある)・網走川」の意。(中略)この川名で呼ばれたルーチシ(峠)は今の釧北峠なのであった。」との説明があります。
本多貢 著『北海道地名分類字典』北海道新聞社, 1999.10【GB11-G25】
* 字名を確認できます。資料1において、字藻琴、字平慶溜珍とあったことから確認しましたが、平慶溜珍に関する記載は見当たりませんでした。
串田孫一 編『峠』有紀書房, 1961【291.09-Ku946t】
* pp.11-17更科源蔵「釧北の峠」
『目で見る阿寒国立公園史 』阿寒国立公園広域観光協議会, 1984.10【GC7-299】◎
* pp.80-83「津別と釧北峠」
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂『角川日本地名大辞典 1 (北海道)』下巻 角川書店, 1987.10【GB11-38】
* pp.521-525「津別町」
小原隆幸 [著]『北海道アイヌ語地名集』[小原隆幸], [1997]【GB11-G10】
永田方正 著『北海道蝦夷語地名解 : 附・アイヌ地名考』国書刊行会, 1972【GC5-27】
・国土交通省国土地理院 地名集日本(GAZETTEER OF JAPAN)( https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/gazetteer.html )
秋葉実 翻刻・編『松浦武四郎選集 1 (蝦夷婆奈誌・東西蝦夷場所境取調書・下田日誌)』北海道出版企画センター, 1996.12【GC5-G96】
* 『東西蝦夷場所境取調書 弐』(pp.207-251)の「クスリ領アハシリ シャリ領アハシリ 領分境」(pp.209-212)に、釧北峠(ルチシ)を経由する道についての記載があります。
宇田川洋先生華甲記念論文集刊行実行委員会 編『アイヌ文化の成立 : 宇田川洋先生華甲記念論文集』北海道出版企画センター, 2004.3【GC5-H43】
* 西幸隆「北海道東部における松浦武四郎の道と内陸交通路―幕末からチャシ・擦文の時代の道を探る―」(pp.579-594)に、松浦武四郎の道を示す複数の地図が収録されていますが、「ここで言う武四郎の道とは、各地域で検証が行われているものの具体的な道跡までは明示できないことは周知のとおり」との記載(p.593)もあります。
〇地図
以下の地図を確認しましたが、平慶溜珍の記載はありませんでした。
『阿寒湖 [1923] 假製版 (五万分一地形圖 ; 斜里 16號)』大日本帝國陸地測量部, 1923.12【YG1-Z-5.0-5-16】
『1:25000阿寒湖 [1965] (1:25000地形図 ; 斜里 16号 阿寒湖の3)』国土地理院, 1965.12【YG1-Z-2.5-5-16-c】
高倉新一郎 編著『北海道古地図集成』北海道出版企画センター, 1987.9【YP6-92】
高木崇世芝 著『北海道の古地図 : 江戸時代の北海道のすがたを探る (函館文化発見企画 ; 2)』五稜郭タワー, 2000.7【GC5-G81】
『最新道路地図帖 北海道編 (ミリオン・シリーズ)』東京地図出版, 1967【291.038-To458d-(s)】◎
『ゴールデンマップ道路地図 北日本編』元文社, [ ]【Y78-226】◎
北海道廰拓殖部 編『北海道移住手引草 第17』北海道協會支部, 1916.1【YG7-Z-1140】☆
〇公文書
公文書関係の調査も行いましたが、記載は見つけられませんでした。
北海道立文書館( https://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/index.html )
* (一例)「釧路ヨリ北見ニ通スベキ道路御新設相成度義上申」:附図ありとのことですが、内容は未確認です。
http://www.bunsho.pref.hokkaido.lg.jp/1113001/kokai/monjokan/mj_kou_kensakukekkashousai.asp?TOROKU_BANGO=A69027&TOROKU_BANGO_EDABAN=0
北方資料デジタルライブラリー 北海道立図書館( https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/ )
国立公文書館デジタルアーカイブ( https://www.digital.archives.go.jp/ )
〇アイヌ語地名研究者山田秀三に関する資料
北海道博物館 編『アイヌ語地名と北海道 : 北海道博物館第5回特別展 : 図録』北海道博物館, 2019.7【GC5-M10】
* pp.69-112「第2章〈地名〉をあるく」:山田秀三の業績について言及されています。明治三十年前後の仮製五万分図にたくさんのアイヌ語地名が仮名書きで書いてあり、記入位置もよい(p.75)とあります。
* 山田秀三文庫には、北海道のほぼ全域の陸地測量部による仮製5万分図があるようです。なお、『新日本地名索引 別巻 (地名レッドデータブック)』【GB11-E24】(陸地測量部発行5万分の1地形図に現れた地名のうち、現在の地図から失われてしまったものを収録)には、平慶溜珍の掲載は見当たりませんでした。
* (参考)北海道立アイヌ民族文化研究センター( https://ainu-center.hm.pref.hokkaido.lg.jp/koukai/top.htm )より
・山田秀三文庫について( https://ainu-center.hm.pref.hokkaido.lg.jp/koukai/OPdata/Y/YCB-top01.htm ):詳細については、当該機関にお尋ねください。
北海道立アイヌ民族文化研究センター 編『山田秀三文庫文書資料目録 1-3』北海道立アイヌ民族文化研究センター, 2000-2003【GB2-G171、GB2-H95】
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- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『津別町史』1954
『津別町史 新訂』1971
『津別町百年史』津別町百年史編さん委員会 編, 1985
『津別町の地名起源』三好 勲著, 1978
『北見 (アイヌ語地名 ; 3)』伊藤せいち 編著, 2007
『日本歴史地名大系 第1巻 (北海道の地名)』2003
『角川日本地名大辞典 1 (北海道)』「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂, 1987
『北海道地名誌』NHK北海道本部編, 1975
『竹四郎廻浦日記』松浦武四郎 [著], 高倉新一郎 解読, 1978
『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』松浦武四郎 著, 高倉新一郎 校訂, 秋葉実 解読, 1985
『アイヌ語地名ファンブック』高倉新一郎 校訂, 秋庭実 解読, 2006
『北海道の地理と歴史』北海道社会科教育連盟 監修, 1980
『アイヌ語地名の研究 : 山田秀三著作集 1~4』山田秀三 著, 1983
『雑学北海道地名の旅』本多貢 著, 1982
『北海道道路53話』北海道新聞社 編, 1979
『地名語源辞典』山中襄太 著, 1982
『コンサイス地名辞典 日本編』三省堂編修所 編, 1982
『北海道蝦夷語地名解』永田方正 著, 1984
『北海道地名解』礒部精一 著, 1918
『北海道地名解』小林成光 著, 1983
『北海道地名一覧』栃木義正 [著], 1986
『北海道地名漢字解』本多貢 著, 1995
『北海道地名分類字典』本多貢 著, 1999
『蝦夷地名解』
『更科源蔵アイヌ関係著作集 6 (アイヌ語地名解)』1982
『地名アイヌ語小辞典』知里真志保 著, 1984
『新北見市史 資料編』北見市史編集委員会 編, 北見市史編さん委員会 監修, c2019
『北海道道路史』3路線史編 北海道道路史調査会 編, 1990
『北海道道路誌』北海道, 1925
- NDC
-
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000306975