レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年5月14日
- 登録日時
- 2021/09/20 11:55
- 更新日時
- 2021/11/13 15:46
- 管理番号
- 蒲郡-2021-05142-A
- 質問
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解決
江戸初期の豊橋藩主、松平(竹谷)家清公の正室である天桂院について知りたい。生没年や人となり、お墓の現状について記述のある資料を知りたい。
- 回答
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当館所蔵の資料として以下の本を紹介した。
・『蒲郡市史 本文編1 原始古代編・中世編』 蒲郡市史編さん事業実行委員会∥編集 2006.3 275~276、320~321p
・『家康の族葉』 中村 孝也∥著 国書刊行会 1988.2 74p
・『竹谷松平氏 西ノ郡の殿様』 蒲郡市教育委員会∥編集 蒲郡市教育委員会 1990.3 44~51p
・『徳川家臣団の系図』 菊地 浩之∥[著] KADOKAWA 2020.1 138p
・『寛政重修諸家譜 第1』 続群書類従完成会 1964 119p
・『松平氏と蒲郡』 原田 耕治∥著 蒲郡市教育委員会 1996.7 17p
特に『竹谷松平氏 西ノ郡の殿様』に詳しい記述がある旨も伝えた。
<天桂院について>
1569年に久松俊勝と家康の生母、水野氏於大の方の間に生まれた家康の異父妹。
竹谷松平家6代目家清の妻で、天正9年(1581)12月、13歳のときに結婚した。
天桂院とは亡くなったときの法名で、生前は於きんの方と呼ばれていた。また、「高瀬君」「留(とめ)」ともよばれていたようだ。
輿入れの際は、家康の異父兄妹である於きんの方と竹谷松平家では家格が違い、竹谷松平家側は躊躇したなどの記載がある。
天正10年(1582)~天正18年(1590)までは竹谷城に住んでいたようだが、その間の於きんの方の消息を伝える資料は全く見当たらない。
天正18年(1590)、竹谷松平家が家康より与えられた武蔵八幡山に引越す。
1590年10月17日にお産のため亡くなる。享年22歳。
<お墓の現状>
天桂院が実際に埋葬されているのは小田原市にある福巌寺(ふくごんじ)。江戸に移る道中、お産のため亡くなり、遺言に従い埋葬された。
蒲郡市内にある天桂院は、於きんの方の法名からとられていて、竹谷松平家の菩提寺となっている。
- 回答プロセス
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1.とりあえず人名事典に記載がないか確認。
『人物レファレンス事典;古代・中世・近世編せ~わ』日外アソシエーツ編集部/編
「天桂院」で引いたが、記載なし。
2.自館OPACのキーワード検索で「天桂院」と検索。何冊かヒットしたが寺院の案内本で、欲しい情報が得られなかった。
3.蒲郡市史に記載がないか確認。
『蒲郡市史 本文編1 原始古代編・中世編』蒲郡市史編さん事業実行委員会/編集
P.320「蒲郡の松平氏系図」に天桂院殿と記載あり。
参考資料として『家康の族葉』 中村 孝也/著 が載っていた。
また、P.321を見ると竹谷松平氏については『竹谷松平氏 西ノ郡の殿様』蒲郡市教育委員会/編集 という資料が刊行されていることがわかった。
4.『家康の族葉』『竹谷松平氏 西ノ郡の殿様』に詳細が載っていないか見る。
・『家康の族葉』
→P.74、574に家清が家康の異父妹である久松佐渡守俊勝の女を室とした。家康の生母水野氏於大の方が久松俊勝に再嫁し生まれた女である。家清の正室は嫡子忠清と一女を産み、天正18年、22歳で亡くなったと記載あり。特に名前などは記されていなかった。
・『竹谷松平氏 西ノ郡の殿様』
→P.44~51に蒲郡市内にある寺院の「天桂院」は家清の妻の「於きんの方」の法名からつけられたことがわかった。
以下、寺院の天桂院と区別するため調査対象を「於きんの方」と記載する。
この資料に於きんの方の生まれから結婚、逝去まで記されていた。
また、墓が小田原市の福巌寺にあることもわかった。
口絵に福巌寺の墓の写真が掲載されている。
5.さらに徳川家の家系図を中心に資料を探した。
・『徳川家臣団の系図』 菊地 浩之/著
→P.138に於きんの方の生没年が1569~90と記載あり。
・『寛政重修諸家譜 第1』 続群書類従完成会
→P.119に天正18年10月17日に亡くなったと記載あり。
・『松平氏と蒲郡』
→P.17に、家清が家康の異父妹天桂院を室として迎えた、と記載あり。
ここで調査を終えた。
参照したが以下の資料には回答が得られなかった。
・ふるさと探訪 足立陸男/著
・天稔記 天桂院/編集
・ほんとのんほい 西の郡の民話 足立陸男/著
・三河松平一族 徳川将軍家のルーツ 平野明夫/著
・徳川一族 時代を創った華麗なる血族 清水昇/著 川口素生/著
・東海の戦国史 天下人を輩出した流通経済の要衝 小和田哲夫/著
・三河吉田藩 交通の要衝三河吉田と新居関を擁する譜代藩。「知恵伊豆」の血を引く大河内松平氏が長く治めた。 久住祐一郎/著
・鋤柄三河入道<三河守>と七百年間に亘るその子孫たち 鋤柄勝男/著
・蒲郡風土記 伊藤天章/著 蒲郡新聞社/編集
・葵のふるさと松平郷 伝承-氏祖松平親氏
・『蒲郡市史』でよみとく海辺のまちの戦国時代 図書館・博物館特別コラボトークショー司書×学芸員が愛する「蒲郡の戦国時代」配布資料
蒲郡市立図書館/編集 蒲郡市博物館/監修
・寺社(蒲郡市)を訪ねて;第29号(平成11年新年号) 蒲乃冠者/編集
・蒲郡の古いはなし;第2集 蒲郡百人の会/編集
・徳川・松平一族の事典 工藤寛正/編
- 事前調査事項
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天桂院は久松俊勝と伝通院(於大の方)夫婦の三女で徳川家康の異父妹。
江戸時代初期の豊橋藩主松平(竹谷)家清の正室。
蒲郡市内に「天桂院」いう寺院が存在する。
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 1(原始古代編・中世編). 蒲郡市, 2006.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182175-00 -
中村孝也 著 , 中村, 孝也, 1885-1970. 家康の族葉. 講談社, 1965.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001068636-00 -
蒲郡市教育委員会 編 , 蒲郡市教育委員会. 竹谷松平氏 : 西ノ郡の殿様. 蒲郡市教育委員会, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002048238-00 -
菊地浩之 [著] , 菊地, 浩之. 徳川家臣団の系図. KADOKAWA, 2020. (角川新書, [K-299])
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I012145382-00 , ISBN 9784040823263 -
堀田正敦 等編 , 堀田, 正敦, 1755-1832. 寛政重修諸家譜 第1 新訂. 続群書類従完成会, 1964.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001053759-00 -
松平氏と蒲郡 原田 耕治∥著蒲郡市教育委員会 1996.7
(生涯学習講座シリーズ郷土史) (蒲郡市教育委員会生涯学習課∥編集) (5)
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 1(原始古代編・中世編). 蒲郡市, 2006.
- キーワード
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- 天桂院
- 竹谷松平家
- 松平家清
- 家康の妹
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 書誌的事項調査 所蔵調査
- 内容種別
- 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304888